『三年目の作家、として』
つまり、章や節や段落や句点や読点は、人間の年、月、日、時刻などに相当するのであり、それは記憶の単位なのである。であるから、人間に向かった伝達には、このような区切りが必要とされるのである。そして、その区切る間隔は、人間の区切るリズムに近ければ近い程よいと言える。
では、一体、そのリズムとはどれぐらいの長さのものなのであろうか。私が直感的に感じたところでは、理性的な長さ、感覚的な短さ、である。
しかし、それは人によって様々であるかもしれないし、そうではないかもしれない。同一の人でも、朝と夜では違うかもしれないし、そうではないかもしれない。気分によっても然りである。
だが、これだけは言える。それはゼロではなく、無限大でもない、と。そして、正確に知ることのできるその基準となるリズムは、自らのリズム以外にない、と。
つまり、作者は、常に自らのその一語、一文、一段落、一節、一章における意図と流れを視野に置き、検分しながら書き進めるべきなのである)
テーブルから伸びるコーヒーの湯気。ナナの指を流れる赤。テーブルから伸びる煙草の煙。俺の口に広がる赤。そして俺は、分かたれることを恐れるように、ナナの頭を抱き寄せた。
「未消化な理性」
路面に照り付ける日差し。単一な空の青。ざわめく緑。流れる赤。遠く見つめるナナの瞳に映るそれら全ては、分かたれ、統合された。
「私、綺麗な洋服が好き」
鏡の前でスリップドレスを合わせるナナの眼差し。
「着飾ることがどうして嘘になるの? 本当の姿は裸だけなのに」
俺の足。ナナの脚。俺の腰。ナナの腰付き。俺の広げられた掌。ドレスを肩に合わせるナナの指。ナナが振り返った。
「何て言われても、モルガン」
(何の前ぶれもなく、今度は節を省いてみた。やはり混乱を招くだけで切り替えがうまく行われないことが証明されたように思う。そして、この問題を解消するためには、節に相当する説明が必要であろう。
しかし、その移行方法が読者をこの世界から隔離させてしまうであろうことは容易に推察される。何故なら、先に述べたように、人間は世界を断絶させる存在なのであり、出来事の繋ぎというものはただ言語上にのみ存在するからである。
改めて提示する。「私、綺麗な〜」から、次に示される節であった)
六月十五日、月
ナナが首を傾けた。事実、そのドレスがナナの脚の、腰の、胸の、肩の、腕の美しさを際立たせることは明白だった。微かに滑り降りたナナのブレスレット。
「表象は本質の一部である。本質の、一部である」
俺はナナの腕を掴み、試着室に引き込むと、その美しさを手荒く称賛した。脚を、腰を、背を、胸を、腕を、肩を、首を、そして、艶やかに光る唇を。
激しい愛撫にナナは瞳を閉じ、吐息を漏らした。美へのためらいを捨てた女として。
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