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三年目の作家、として
(第二、語の順序、或いは反復の効果について。
 まず、品詞について考える。
 品詞の大きなものに名詞、動詞、形容詞、接続詞、副詞がある。ここで考えたいのは、それぞれが受け手にどのような効果を与えるのか、と言うことである。
 まず名詞。これは指された物自体を思い浮かばせる。例えば
「星」
 のように。
 次に動詞である。これは物ではなく、文字通り動きを思い浮かばせる。逆に言えば、物体としては何も思い浮かばせないのであって、必ず何らかの動きの主体を必要とし、或いは、何も主体が示されていなければ、漠然とした主体を自然に仮定してしまう。例えば
「走る」
 のように。
 次に形容詞である。これも物ではなく、様態である。そして同じように主体を必要とする。例えば
「遠い」
 のように。
 次に接続詞である。これは先にも述べたように、文と文を繋ぐための語、つまり理性による強制的な連結、断絶であり、肉体的、感覚的なものではない。そしてこれも主体、この場合は「文」が必要である。例えば
「そして」
 のように。
 次に副詞だが、これは書き手の判断であり、接続詞と同じように理性的なものである。例えば
「すごく」
 のように。
 以上のことから、もし肉体感覚的な感じを出したいのであれば接続詞と副詞をできるだけ使わないことではないだろうか。逆も然りである。
 次に、それぞれが持つ時間と空間とについて考えてみる。世界を築く効果を知るために。
 名詞は空間的である。動詞は時間的である。形容詞は空間的である。副詞、接続詞は、時間も空間も持たない。
 では本題に入ろう。語の順序についてである。
 まず、形容詞と名詞を組み合わせる。その効果を比較するために二つの例を示す。
「美しいナナの脚」
「ナナの脚が美しい」
 上の例、一般に体言止めと言われる形、では、映像が鮮明で、主人公の視界を感じさせる。対して、下の例では映像が漠然とし、余韻のような、主人公の陶酔のような感じを与える。
 次に、動詞と名詞を組み合わせてみる。
「走るセンチュリー」
「センチュリーが走る」
 上の例では動作の途中、下の例では動作の始点のような感じを受ける。映像が鮮明なのは上の例である。
 では次に、形容詞が複数ある場合はどうか、試してみる。
「細く、長く、艶やかで、美しいナナの脚」
「ナナの脚が細く、長く、艶やかで、美しい」
 上の例では映像が漠然としてしまう。形容される主体が長時間不在だからである。これはいただけない。下の例ではあたかもカメラが次々にズームアップするかのごとくに効果的である。そして余韻や陶酔のようである。つまり、複数の形容詞の場合は、原則として、名詞が先に来るべきである。


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