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三年目の作家、として
 七月十五日、水

(第四、語と語との繋がり、主語と述語と修飾語との関係、そして語の量の効果について。
 語の存在は他の語と関係し、連なることによって初めて可能となる。一語では語は成立しない。
 ここで一語とは状況の設定がない状態のことであり、例えば「どんなジャンルの音楽が好きなの?」という問いに対して「ジャズ」と一語で答える、等を含まない。
 と言うのは、この「ジャズ」という一語は、問いによってあらかじめ「私の好きな音楽ジャンルは」という語が状況的に設定されており、たとえその部分が表現として現れなくとも、意味として存在するのである。
 では、不必要とさえ思われるが、本当に語が単独では成り立たないのか実験してみる。困難であることは承知の上で、今まで読んできた文脈は一切忘れてもらいたい。

「俺」

 それが何だと言うのか。もしここに状況が設定されていれば、例えば「誰がセンチュリーを盗んだのか」と言う怒りが渦巻く中で「俺」と言えばそれは意味を成す。だが、ここにおける「俺」は状況を設定していない。
 或いは、もしこれが活字ではなく筆で書かれていたのなら、文字の造形美などを見ることもできよう。しかし、これは活字である。
 つまり、この「俺」は「俺」である必要が何もなく、更に「俺」を発する必要すらない。
 もしこの語が単独で存在するなら、どのような必要によって生み出されたというのか。目の前にいる相手が、何の状況的制限もなく、自分を差して「俺」とだけ言うならば、それは言わなくても相手が相手なのは明らかであり、全く必要がない。これは「俺」でなくとも、例えば「リンゴ」でも同じである。
 つまり、語は一語だけでは存在できないのである。最低でも二つ以上の語がなければならない。自我の存在条件と同じように。
 では、今度は二語にしてみる。

「俺は外した」

 まだまだ不十分だが、意味も存在理由も成立している。更に語数を増やしていけば、意味がより詳細になる。

「俺は白手袋を外した」
「俺はそれを漆黒の夜空に放り投げた」
「澄んだ闇の中、それは手を握り締めながらゆっくり上昇し、手を開きながらゆっくり落下した」

 最後の文は一つの文ではなく、二つの文の連結である。


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