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三年目の作家、として
 七月二十三日、木、午前八時、「LOVE CRAZY」設立

 七月二十七日、月

(第六、語と語、文と文、段落と段落、節と節、章と章との間の描かれない部分、或いは空白の効果について。
 文が連なって行く時、言及されない部分がある。まず、問題を明確にするためにも、例を挙げてみる。
「警官が車のドアを開いた。俺とナナは後部座席に座った」
「警官が車のドアを開いた。車内灯が緩く点灯した。俺とナナは手を取った。促され、ステップに足を踏み入れると、車は微かに沈んだ。俺とナナは後部座席に座った」
 上の例では時間の経過が速い。そして空間が希薄である。つまり、抽象的で、テンポが速い。対して、下の例では時間がゆっくり経過する。空間は濃密である。つまり、具体的で、テンポが遅い。更に細かく描写していけば、より遅く時間を流すことができる。
 これを前述した「時間と空間は反比例する」に当てはめれば、空白部分の大きさは時間の速さである。
 では次に、段落、節、章の間の空白について考えてみる。
 段落はほとんど文における空白と変わらないように思うが、節や章となると少し趣が違ってくる。
 例えば、節は概ねエピソード毎に区切るものであるが、時間的にほぼ連続しているものから、何ヵ月も空白があるものまである。また、章は概ね複数の節によって形成される流れの完結毎に区切るものであるが、これも時間的にほぼ連続しているものから、はたまた登場人物までもが全く違っているものまである。
 これらについての効果とはどのようなものであるか。
 規模である。つまり、空間の厚み、いや、時代の厚みと言ってもいいかもしれない。規模が巨大であれば距離が離れ、規模が小さければ距離が近い。
 ああ、経験と思考方法の未熟さから、これ以上の事が語れない。
 最後に語と語、いや、何もない行、空白の行の効果について考える。空白の行とは、例えば次のようなもののことである。



 疲れた



 これは、明らかに空白の行に挟まれた語、或いは文、を強調する。そしてその空白の行が一行よりも二行、三行と、増えれば増えるほど効果が高い。また、後述するが、極まった感情のような、真っ白な感覚を作りあげることもできる。
 この節は、思考の未熟さが甚だしい。恐らく私は思考から逃げている。或いは必要を認めていない。どちらにせよ、経験から言っても、今は到底不可能である。
 二度目ともなると口にするのも汚らわしいが、後の解決を期待する。それしかない)


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