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三年目の作家、として
 さて、このような起承転結という分割の方法は、いかにももっともな方法である。例えば、世界を何も示さない状態で「起」以外のものはあり得ないし、「承」によって日常が示されなければ「転」のような混沌はあり得ない。そして「結」もまた、同じ理由によって最後の位置以外にはあり得ない。
 ただ、必ずこのような流れでなければならないとは言えない。
 何故なら、「転」や「結」の必要性は疑問であり、「起」と「承」のみで十分であるようにさえ思われる。特に短編において、起承転結を意識し過ぎた場合、時間と空間の関係により、空間が不十分になる恐れがあるのではないか。
 だが同時に、「転」がなければ流れの強弱が存在せず、「結」がなければ「転」の意義が希薄になることも事実である。
 つまり、これらの割合や有無は流れの意図の置き方に関わってくるのである。
「承」が長ければ「転」が際立ち、「転」が長ければ混沌とした感じが出る。「起」は現実世界を基本とするなら、たとえそれが短くとも、以降の展開の中で世界を明らかにしていけるであろうから、問題はない。
 ただ、「結」が問題である。「結」が長ければ「転」の教訓めいた意義が際立つことは確かであるし、そこに主眼が置かれていれば、何ら問題はない。だが、簡潔なる「結」を必要としないものもある。
 例えば、エピソードを重点としていないものがそうである。世界を主眼とし、エピソードをその引き立て役とするものである。これについては、どんな簡潔な「結」もありえないように思う。寧ろ、簡潔に結ばないことのほうが効果が高いようにすら思われる。何故なら、結ばないことによって、その世界は展開し続けるからである。
 以上のことを踏まえ、文章の流れは、その全体としての意図に基づく方法や割合によって計画されるのがよいであろう)


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