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完結した夏
 4(遠)

 母と俺は玄関先に立っていた。平屋の大きな家だった。敷石に沿って三本のタンポポがしおれていた。
 母の指がチャイムを押した。玄関の奥からかすかに返事が聞こえた。屋根では瓦が波打ちながら日差しを強く反射していて、その上に、青空があった。セミが四方から鳴きわめき、世界をくまなく包んでいた。玄関の引き戸のすりガラスに、ぼんやりと人影が浮かび上がった。音も静かにそれが開くと、短い髪の婦人が見えた。すぐに、その満面に笑みが起こった。
「美佳子(みかこ)ー!お久しぶりー!」婦人の髪の向こうには涼しげな廊下が伸びていた。「さあ、どうぞ?上がって?上がって?」
 母は婦人に微笑を浮かべ、軽く首を傾けた。手を引かれ、振り向くと、ブロック塀の天辺から隣家のヒマワリの後頭部がはみ出していた。
「おじゃまします……」
 脱いだスニーカーをきちんと揃え、母の白いハイヒールの隣に寄せた。立ち上がって振り向くと、すぐ向こうの開かれたドアの前で、母と婦人が立ち話をしていた。母は背中を軽くのけ反らせ、片脚を曲げ、唇に指を当てて話している。
 俺の左手にある下駄箱の上にはコバルトブルーの花瓶が乗せてある。その花瓶は陶製で、全面にヒビのような模様があり、レースの敷布に乗せられている。口には白い花が差してあり、青っぽい雌しべが異様な感じで突き出している。
「水面、いらっしゃい?」
 見ると、母と婦人が優しい目つきで俺を見ていた。そして、二人の腰くらいの高さに、真っ黒に日焼けした女の子の顔があった。部屋の中から首だけ出して、俺と同い年くらいの女の子の顔が、じっと俺の目を見ていた。
「水面ちゃん?」
 婦人が優しく名を呼ぶと、その子の顔が引っ込んだ。俺の目にその子の顔が焼きついていた。俺はうつむいた。
 子供の足には大きすぎるスリッパが音を立てないように、ゆっくり、擦り足で歩いた。よく滑った。スースーと、床板の擦れる音がした。メープルの、綺麗に磨かれた廊下だった。柔らかな母の手を握り、見上げると、壁にかけられた花の絵が不気味に暗かった。
「綺麗ね、水面?」
 俺はうなずくようにうつむき、母は俺の帽子を取った。


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