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完結した夏
 6(遠)

 壁一面のレースのカーテンが純白に輝いている。カーテンを通過した緩やかな光がガラスのローテーブルで砕けている。
 母は深緑色のソファーで脚を組み、タバコをゆったりと蒸かしている。黄緑色のカーペットには口紅で書かれたいたずら書きがあり、奥のピアノの手前では女の子がカーペットに直に座っている。
「今回の転勤、一緒に来ようかどうかずいぶん迷ったのよ?」
 紅茶の香りとともに婦人の脚が目の前を横切った。女の子の目は婦人の動きをじっと追い、母に移り、婦人に戻った。クーラーの音が高く切り替わった。
「いくらここが故郷だと言っても、東京の便利な生活に慣れちゃうとなかなか思い切れなくてね……」
 婦人はティーカップを二つ、オレンジジュースの入ったコップを二つ、テーブルに置いた。女の子は目を落とし、着ている真っ赤なタンクトップの裾をいじり始めた。ピアノの上の日本人形が薄気味悪く笑っている。天井のシャンデリアが消えている。目を戻すと、女の子の視線とぶつかった。俺はすぐに目を落とした。靴下のかかとが薄くなっていた。
「それに、陽子(ようこ)も、もう三年生でしょう?だから……」
 婦人は紅茶を口にしながら俺に目を留めた。
「そうだ……水面ちゃん、陽子のお友達になってあげてくれない?陽子、転校して来たばかりで遊び相手がいないのよ……ね、陽子?」
 女の子は何も言わずに首を横に振った。ポニーテールが現れて、消えた。俺は目を落とした。膝のかさぶたに白く細い糸が混じっていた。顔を上げると、母はやはりタバコを蒸かしていた。
 サイドボードの棚にはくすんだ緑色のナポレオンの瓶が立っていて、その横に、ティーカッブが口を下にして並んでいる。カラン、と涼しい音がして、見ると、母の指につままれた金色のティースプーンがカップの中身を掻き回していた。ジュースの入ったコップの汗が一気にテーブルに流れ落ちた。コップの底の周りには張り詰めた水が溜まっていた。俺は目を落とした。
「智子、高校二年の体育祭、おぼえてる?」
「二年?……そうね……何かあったかしら……もう十年も昔のことだから……」
 母のティースプーンが回転速度を増した。
「ふざけないでよ……私とあなたで英人(ひでと)の取り合いになった時のことよ。ハハ、あのときのあなた、傑作だったわ……」
 目頭がぼんやりと熱くなってきて、不意に、腕をつかまれた。見ると、デニムのショートパンツを履いた黒い脚があった。俺は目を逸らした。つかまれた腕が敏感になった。
「行こ?」
 女の子の掠れた声が頭上に聞こえた。見ると、母が口を歪めて話していた。その向こう、婦人がティーカップを口に当てていた。掠れ声が再び聞こえた。
「行こ?」


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