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完結した夏
 7(近)

「まさかあんなことになるなんて思わなかったから……」
 山手通りから脇道に入り、急勾配の坂を上る。暗闇に点々と続く外灯。道の右手にはコンクリートの壁があり、左手の林では忙しなくコオロギが鳴いている。
「私、何度もみいちゃんの家にあやまりに行ったんだよ?」
 赤い路面、白いガードレール。右手頭上を走る高速3号から、ガタンガタンとトラックの通過音が聞こえて来る。陽子は道を左に折れて、少し奥まったマンションを指差した。マンションの足下で看板が点灯していた。
『LOUNGE BAR BALZAC』
 テクノの流れる薄暗い店内に入り、窓辺にある革張りのソファーに座り、もたれかかった。窓のすぐ外にバイクが飾られている。
『BMW R90/6 900cc』
 ビールの注がれた細長いグラスが細長いテーブルに二つ並べられた。
「それで、今、どうしてる?」
「うん……」
 右奥の小さなカウンターの向こうで、店員の女がゆったりとタバコを蒸かしている。天井のプロペラの影がその女の表面で回転している。
「叔父さんの仕送りで、大学行ってる……」
「そう……よかった……ほんとに、あのときはごめん……」
「いいよ……俺も、悪かったんだから……」
「……ありがとう」
 カウンターの上のプロジェクターから光線が伸び、白壁に『クルックリン』が映写されている。女はタバコを蒸かしている。煙は光線の中を流れている。
「……ハハハハ!」
 不意に、陽子の掠れた笑い声が響いた。見ると、口を完全に開いて天を仰ぐ陽子の笑い顔が頭上から青いライトを浴びていた。
「みいちゃんが『俺』って……クク……なんか……ククク……ハハハハハ!」
「うん……」
 陽子はそのままうずくまり、なおも笑い続けた。赤いターバンが震えた。女はタバコを蒸かしていた。俺はビールを口にした。ソファーの下から照らし上げるオレンジ色のライトが傾けたグラスの中で乱反射した。綺麗だった。
「ハハハ……ごめん……ハハ……」
 陽子は露な細い肩を上下させ、涙を拭って笑いをおさめると、もう一度、肩を上下させた。
「ハハ……ごめん、バカにしてるんじゃないんだよ。ただ、ちっちゃいころのイメージがあまりにも強すぎるから……」陽子はグラスを手に取り、口にした。ブレスレットが細い腕をかすかに滑り落ちた。
「それで、なんの話だった?」
「うん……ようちゃんは……今、どうしてるの?」


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