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完結した夏
 9(近)

 月光の夜道を歩き、松見坂のマンションに到着した。十二階建の現代的なマンション。陽子の部屋は最上階の角部屋だと言う。オートロックをカードで解除し、エレベーターで上って行く。
「どうして私がこんなとこに住めるか、不思議でしょ?」
 俺は陽子の顔を見た。鋭い眉に鋭い目。すっとした鼻筋にやや薄い唇。大人びた輪郭。昔の面影があまりない。エレベーターが到着し、通路を歩き、陽子が部屋のドアを開いた。
「駅から3分、2DK、オートロック、最上階、角部屋」
 陽子がスニーカーを脱いだ。玄関には靴が折り重なるように密集していた。
「どうぞ」
 キッチンを抜け、壁一面がレコードの部屋に入った。陽子が奥で何やらいじると、緑色のライトが壁を丸く照らした。
「それで、ベランダが16平米」陽子が奥のガラス戸を開け放した。「どう?いいでしょ」
 月明かりの下、ベランダには丸テーブルが一つ、鉄製の肘掛椅子が二つ、赤い自転車が一台、鉢植えの木が左右に二本、あった。俺はサンダルに足を突っ込み、ベランダの端に歩み出た。
 眼下に広がる夜景が美しい。光るビルの海、一際明るい車の帯、高速3号を流れる明かり。頭上の月光。陽子がロウソクを片手に部屋から出て来た。
「こんなとこに住んでたら、お金なんていくらあっても足りないよ」
 陽子はロウソクをテーブルの中心に置くと、また部屋に戻って行った。「みいちゃんも手伝ってよ!」
 レコードの部屋を通過し、キッチンに行くと、陽子が鍋を火にかけていた。
「その冷蔵庫から好きなお酒出して持ってって。あ、それからグラスも」
「……何、作ってるの?」
「これ?」陽子が鍋を掻き混ぜた。「ポトフ。昨日の残りもの」陽子が逆の手でグラスを差し出した。
 俺はグラスを受け取り、冷蔵庫からビールを取り出した。コロナ。
「ようちゃんは、何を、飲むの?」
「自分で持ってく」陽子が火を止めた。「いいよ、先に飲んでても」
 俺は陽子の背中に軽くうなずいてキッチンを出た。「あ、レコードかけて!」俺は緑のライトの下、レコードプレーヤーを探した。「今乗ってるのでいいから!」プレイボタンを押した。カチャッという音とともに針が起動し、旋回し、溝に落ちた。フェードインするリズム。
 俺はベランダに出た。月が純白だった。椅子に腰かけ、コロナをビンのままあおった。テーブルの中心に置かれたロウソクの炎が、紫色のガラス容器の中で揺らめいている。その横に置かれた小さなプラスティック製の灰皿の表面に、ガラスの紫が映り込んでいる。
 タバコに火を点けると、陽子が器を片手に出て来た。


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