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完結した夏
 16(近)

 俺は陽子のマンションのエントランスにいた……鉄製のポストボックスを調べていた……あった。
『1206 藤館』
 パネルに番号を入力し、コールボタンを押した。
 ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
 パネルのすぐ横で、オートロックのガラス戸が閉じられている。ガラスの向こうに見える通路は建物を真っ直ぐに貫いていて、その両側に、鋼鉄のドアが四枚ずつ並んでいる。俺はもう一度コールボタンを押した。
 一番手前のドアはエレベーターのドアだった。フロアサインの『4』が点灯している。俺はもう一度コールボタンを押した。手の中のCDを眺めた。そしてもう一度コールボタンを押した。さらに押そうとすると、パネルでスピーカーが答えた。
「……はい」
 陽子の声はいつもより掠れ、低い調子だった。寝起きだ。
「……誰?」
「……あ、あの……高沢、です……」
「……なあに、こんなはやい時間に……んん……じゃあ、開けるから上がってきてよ」
「うん……」
 ピポッという電子音の後、ウイーンというモーター音とともにガラス戸のロックが外れた。俺は戸を引き、振り返った。マンションの前のアスファルトの道が、陽光で鮮やかだった。
 エレベーターのボタンを押して、数字が下りて来るのを眺めていると、ガタンとガラス戸の音がした。閉じられた戸の向こうから、見知らぬ男が俺に『開けろ』の合図をしていた。ロックを指差し合図する、ガラの悪いその男を足下から頭まで眺めてみた。ほぼ間違いなく新聞の勧誘員だった。俺は数字に顔を戻した。ちょうどエレベーターが開くところだった。ヒステリックに叩かれるガラス戸の音を聞きながら、俺はエレベーターに乗り込んだ。
 頭上のフロアサインが上昇して行く。天井にはカメラが斜めに取りつけられ、俺の顔をどこかに送信している。
 エレベーターを出て、陽子のドアをノックした。ドアが開き、黒いヘアバンドをした、むくんだ陽子の顔が現れた。苛立ちを抑えている感じだった。コーヒーの芳醇な匂いが漂った。
「あの、これ……」俺はCDを差し出した。陽子がそれを受け取った。「あがって行きなよ」
 俺はうなずき、靴を脱いだ。
 陽子はマグカップを口にしながら、もう一つのマグカップを差し出した。受け取ると、カップ一杯に注がれたコーヒーの黒い表面が危うげに波打った。
 陽子はレコードの壁の部屋に歩いた。生地の薄いズボンに浮かび上がった下着の線が、尻が、柔らかく弾力的にうごめいた。ベッドルームのドアは閉ざされていた。


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