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完結した夏
 陽子は部屋に入るとエアコンのスイッチを入れ、ガラス戸を閉め、床に座り込んだ。ベランダの向こうに青空が広がっていた。『高台』『雲の上』それらの言葉が次々と頭をよぎった。
「どうだった?」陽子がレコードを見比べていた。「うん……」俺も床に座り込んだ。「よかった……」コーヒーを口にした。
「どういうふうに?」陽子がレコードに針を落とした。「うん……」針が落ちたボツッという音を頼りに、陽子の指がボリュームを合わせた。
「どういうふうに?」スピーカーのコーン紙を振動させ、急き立てるようにリズムが浴びせかかった。「うん……」陽子がタバコに火を点けた。「……ほんとに聞いたの?」
「聞いたけど……言いたいことはあるけど……言いたい言葉が……」「わけわかんない」陽子が苛立ちも露に煙を吐き出した。
「うん……」俺の口はごまかすようにコーヒーをすすった。
 ガラス戸から差し込む極太の陽光が斜めに部屋を貫いていた。宙を舞う無数の埃は、顕微鏡で見る精子のようだった。
 俺はもう一度コーヒーをすすった。陽子は目を落としながら、低く、静かな掠れ声で言った。「ごめん私朝弱いから」煙を吐き、タバコを消した。
 部屋はリズムに満たされていた。レコードの壁に目を遣ると、五段に区切られたおびただしい数のレコードが、まるで分厚い辞書の腹のようだった。その壁と反対側の壁には大きなスピーカーが両脇に設置され、ビデオデッキを積み重ねたような鉄の塊に接続されていた。窓の外はやはり青空だった。
 陽子はコーヒーを口にし、針を上げてリズムを消した。セミの声が入れ替わりに流れ込んだ。陽子がレコードを取り出した。
「でも、たまには早起きもいいかも」陽子が呟いた。
 俺は部屋に時計を探した。壁を見渡し、床を見渡し、キッチンに振り返り……見当たらない。
「なに探してるの?」陽子が次のレコードに針を落とした。「時計……」さっきよりも遅いリズムがあふれた。
「ああ……」陽子が鉄の塊に目を遣った。「1時23分」陽子が床で座り直した。


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