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完結した夏
 18(近)

 街を眼下に、空は金色だった。ヒグラシが四方で鳴いていた。陽子と俺は西郷山公園のベンチにいた。
 陽子は腕を組み、脚を組み、金色の光を前面に浴びている。まばたきを忘れた両目には黄金色の夕日が映り込んでいる。俺はここに来て十本目のタバコに火を点けた。空になったケースを捻り潰し、手の中に収めた。
 長過ぎる沈黙は、言葉をことごとく抑圧していた。
 雲はなかった。犬を連れた婦人たちが、隅で立ち話に興じていた。背後の芝生には、シートを広げた一組の男女がいた。陽子はじっと動かなかった。
「あ、あの……」陽子は反応しなかった。「俺……トイレ、行ってくる」俺はベンチを立った。陽子は反応しなかった。
 芝生に沿って曲がる道を進み、トイレに入り、目を落としながら便器に向かった。絞り出すように放尿した。本当は必要がなかった。
 そして便器に向かい続けた。
 俺の頭は陽子にかける言葉を考え過ぎた結果、もやもやを残して放心していた。くわえタバコの灰が分解しながらハラハラと落ちた。
 手を洗わず、トイレを出た。ベンチでは、黄金色の光を真正面から浴びて、陽子が膝に顔を伏せていた。足下では、夜の虫が鳴き始めていた。俺はそっと陽子の隣に腰かけた。泣いている様子ではなかった。
 夕日は低い位置で赤みを帯びた金色だった。見上げると、空から色が抜け始めていた。だが、闇の中には輝く星の粒があった。
「……みいちゃん」陽子が顔を伏せたまま呟いた。
「……ん?」
「……ごめんね」
「……何が?」
「……いろいろ……」
「……例えば?」
「……今、ここにいてくれること……」
 高邁な女王につき従う、下卑な一市民をイメージした。陽子はまだ顔を伏せていた。
「……どうしてそれが『ごめん』なの?俺が自分の意志じゃなく、ようちゃんの意志でここにいるって……」自分が苛立っていることに気がついた。「……とにかく……うん……」
 陽子の頭が腕の上で回転し、じっと俺の目を見詰めた。瞳が少し潤んでいた。
「……ようちゃんが何を思っているのか、俺は、知りたい」
 陽子の口もとが少しだけ緩んだ。「自分でも、わからない」
 身体を前に折りたたみ、憂いを含んだ微笑を浮かべる隣の陽子が愛おしかった。燈色の夕日は空に金光を放射して、今まさにビルの山に沈むところだった。
「……ようちゃん、太陽がどうして沈むか、知ってる?」陽子が首をわずかに横に振った。「反対側の世界で日の出を待ってる者がいるからだって、ギンズバーグが言ってた」


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