LOGOS for web

完結した夏
 19(遠)

「きれいなお家」陽子がビニールバッグを片手に見惚れた。
 二階建ての白い家。青紫色のレンガ塀。田舎には珍しいモダンな外観は、周囲の家々から抜きん出ていた。
「僕、とってくる」俺は誇らしい気分で玄関の大きなドアを開けた。
 ひんやりとした階段を駆け上り、寝室の引き戸の前で躊躇した。だが、目をつむり、思い切り戸を開き、手探りでシーツをつかみ、ぐるぐると丸めた。そして目を開けた。忌まわしい痕跡はシーツの中に収まっていた。
 洋服ダンスを次々に引き出し、水着とタオルを引っ張り出した。部屋を出る時、気にかかって振り向いた。障子越しの淡い白光を浴び、シーツを剥がされた布団が重苦しく畳に横たわっていた。
 俺は階段を駆け下りて、サンダルに足を突っ込み、夏の日差しへ飛び出した。陽子は道にしゃがみ込み、側溝の縁に根を張るネコジャラシを指でもてあそんでいた。
「とってきた?」
 俺は手に持つ荷物を掲げ示した。陽子が口を横に大きく開いて笑った。
 ビーチサンダルをペタペタと鳴らして家から農道を一キロほど歩くと、市民プールに到着した。農道を挟んでプールの向かいには清掃工場があり、高く空に突き出した煙突の先から白煙が薄く立ち上っていた。
 陽子がオレンジ色の券売機の前で、ショートパンツのポケットに手を突っ込んだ。「みいちゃんのぶんも買ったげるね」百円玉を不器用な手つきで券売機に投入し「お母さんがそうしなさいって」出て来た券を俺に差し出した。
「ありがとう……」
 入口の窓には入場係の老夫がいて、ニコニコしながらこちらを見ていた。「はい、二人ね」老父の後ろには発色の悪いテレビがあった。陽子と俺は券を手渡し、男子用と女子用の更衣室に分かれた。
 更衣室は広々としていて薄暗く、背の高いブリキのロッカーが列をなして並んでいた。ロッカーの前では何人もの男が着替えをしていて、俺の隣で着替える男は筋ばった尻をうごめかせていた。
 俺はロッカーのドアを開け、服を脱ぎ、スクール水着に履き替えた。床に敷かれた人工芝は古びていて水はけが悪く、素足にヌルヌルとした。メッシュの帽子を被り、荷物をロッカーに詰め込み、鍵をかけた。鍵には白いゴム紐で黄色いプラスチックの番号札が結びつけられていて、俺の番号は『6』だった。鍵を手首に通し、プールサイドに跳び出すと、空は青々と快晴だった。
 胸まである消毒用のプールに浸かり、身体がビリビリするのを我慢しながら十まで数え、出て、真上でギラつく太陽に目を細めると、陽子が更衣室から駆け出して来た。藍色のスクール水着の胸に縫いつけられた『ふじしろようこ』の名札が消毒プールに浸かり、地の色が透けた。
「みいちゃん、何メートル泳げる?」陽子が準備体操をしながら聞いた。
 俺は陽子の動きを真似た。「五十メートル」
「うそ」陽子が屈伸した。俺も真似た。
「うそじゃないよ、ほんとだよ」「うそだね!」「ほんとだよ!だって、山本先生にほめられたもん!」陽子が前屈した。上下するメッシュの帽子から、所々髪が飛び出している。
「……先生の名前なんて、しらない」


19(遠)-2へ
BBSに感想を書く
著者へメール
寄付
back