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完結した夏
「みーいーちゃーん!」陽子がまた俺の脇に手を伸ばした。俺が笑いながら背を向け、逃げようとしたその瞬間、一筋の鮮明な雷光が、南の大地に、突き刺さった。青く鮮明な光の糸が、天と地とを、一本に、繋いだ。
 まばたきをした。光の糸は網膜に焼きついていた。直後、地を裂くようなバリバリッという乾いた雷鳴が轟いた。どす黒い雲はみるみる膨れ上がり、まさに迫り来る感じだった。
 俺は振り返った。陽子の顔が強張っていた。だがすぐに、ギラギラと好奇の光が目に差した。その光る目は、俺の身体を舐めるように下降し、脇の下に留まり、じっとじっと凝視した。
「きゃあー!」手を伸ばし、陽子が迫った。
「わぁー!」俺は両手をあげ、逃げた。
 人々が続々とプールサイドに上がって行く。雷光が突き刺さった。どす黒い雲はものすごいスピードで膨らんで来る。雷光が突き刺さった。陽子が背後に間近に迫る。
 雷光が突き刺さった。
 俺の身体が船首のように水を掻き分ける。二人だけになったプールに、一粒の雨が落下した。陽子の指が背に触れた。どす黒い雲はすでに頭上近くまで来ていた。二粒目の雨が落下した。すぐにパラパラと三粒目、四粒目が続き、そして、堰を切ったように、大粒の雨が、一気に大地を叩きつけた。
 プールの水面は叩きつける雨でハチの巣のように陥没し、プールサイドは跳ね返る雨で白く霞んだ。プールサイドを囲う白い柵の向こうでは、遥かに広がる水田が世紀末の嵐のようにセピア色に波立ち、ざわめいた。肩や背中に叩きつける雨粒が、氷のように、硬く、鋭い。
 雷光が辺りを強烈に照らした。
「みいちゃん!」陽子の手が、ついに俺の腕をつかんだ。俺は振り返った。雨に激しく顔を打たれて、陽子の両目はほとんど閉じている。
「……あ……て……!」雨音が強過ぎて聞こえない。「なーにー!」「……がれ……!」「なーにー!」陽子の口が近づいた。
「あの人が、プールからあがれ、って!」
 陽子が指差す先を見ると、監視員の男が両手を口に当て、頻りに何か叫んでいた。直後、雷光が監視員ごと辺りを強烈に照らした。
 陽子と俺は更衣室の屋根の下に避難し、しばらくプールに叩きつける雨を見ていた。周囲はザーという激しく、しかし優しい雨音で埋め尽くされ、地平線の山々は霞み、不気味に暗い大地は白い靄に覆われていた。空を覆う暗雲の流れは速く、雷光が世界を頻りに照らしていた。
「ねえ、みいちゃん」
 プールサイドを叩きつけた雨が分厚い水の板となって側溝に流れ込んでいる。流れ込んだ雨水は勢いよく左から右へと側溝を流れ、曲がり角に来ると、勢い余ってあふれ出している。
「どうして学校なんて、あるのかな」
「うん……」
 あふれ出した水は、地面のブロックの継ぎ目に生えている夏草を揺さぶり、そのまま柵の外に流れ落ちている。隣の陽子は嵐に波打つ水田より向こう、地平線に連なる山々よりもっと遠くを、ぼんやりと見詰めている。
「……このまま、ずっと夏休みならいいのにね」
 遠くで雷鳴が轟いた。


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