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完結した夏
 21(近)

 目を覚ますと、陽子が俺の胸で眠っていた。肩に届かない黒髪が陽子の横顔を覆い、二人の身体に巻きついたシーツが朝日を浴びて純白だった。俺は陽子の髪をそっと掻き上げ、赤子のようにむくんだ寝顔に口づけた。
 足下には二人の衣服がもみくちゃに転がっていて、そのすぐ横に、陽子の赤らんだかかとがシーツからはみ出している。俺は足でズボンを引き寄せ、ポケットからタバコを取り出した。
「シュ」
 俺の親指の先で希薄な炎が伸びている。俺の鼻先で紙タバコが食い入るようにそれを見詰めている。陽子の寝息がかすかに聞こえた。
 炎をタバコに近づけて、部屋の白壁を見渡した。右手の壁は一面がクローゼットになっていて、ベランダ側の突き当たりには化粧台がある。化粧台の少し左には小さな四角い窓があり、はめ込まれたすりガラスを朝日が白く輝かせている。
 俺は煙を吸い込んだ。壁の所々では写真や絵画がディスプレイされ、天井には二基のスポットライトが取りつけられている。俺は煙を吐き出した。煙は霞みながら、差し込む朝日の中を泳いだ。胸の陽子が目を覚ました。
 陽子は腫れぼったい二重まぶたを重そうに開き、ぼんやりと一点を見詰め、閉じ、また開いた。まぶたを開閉しながら視線を左に移し、戻し、もう一度移し、そして俺の目に向けた。瑞々しくむくんだ口もとがゆっくり笑い、陽子はガラガラの声でささやいた。
「おはよう」
「おはよう」
 陽子は裸の腕を伸ばし、俺の口からタバコを抜き取ると、自分の口に移してくわえた。かすかにジュッと音を立て、タバコの炎が浸食した。陽子は口から煙を吐き出し、タバコを俺の口に戻した。
「コーヒー、飲む?」
 陽子が手を伸ばしてタオルケットをつかみ、身体に巻き、脇の下で留めて起き上がった。
「んん」
 陽子がベッドから足を下ろし、髪を掻き上げ、キッチンへと歩いて行った。俺は深くタバコを吸い込んだ。セミの声は耳を澄まさなければ気づかないほど遠く、かすかだった。
 やがて芳醇な香りを漂わせ、陽子がマグカップを手に戻り、傍らに座った。俺は手渡されたコーヒーを口にして、胸の上に置いた。
「みいちゃん」横向きの陽子の輪郭が逆光に消え入るようだった。「ん?」
 陽子の消えかけた輪郭がうつむいた。「泣いてもいい?」俺はコーヒーを床に置き、陽子を胸に抱き寄せた。「いいよ」
 陽子が声を上げた。
 抱き寄せた陽子の頭が小刻みに震えた。抱き寄せた陽子の肩がしきりにひきつった。俺の胸に熱い水が広がった。陽子の首筋に血管や筋が隆起し、陥没した。俺は陽子の頭を繰り返し撫でた。
「うっうっ……うっ、ううっ……」陽子の嗚咽が俺の胸を限りなく締め上げる。「ようちゃん……」陽子の全身が震えている……何て愛おしい……「うっあ……ううっ、うっ……えっ……」陽子を抱く腕に力を込めた。
「泣けよ、受け止めてやるから」
 部屋中に陽子の声が解放された。


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