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完結した夏
 23(近)

 道玄坂から細い路地に入り、地響きに向かってしばらく歩いた。左を歩く陽子の身体が外灯の光の円錐をいくつも通り抜けた。陽子の顔の凹凸が、光を受けるたびに陰を作った。やがて、赤い光を夜道に放射する地響きの穴が見えた。
『club THREE』
 ネオンサインがコンクリートの壁で発光している。階下に続く階段は、ぼんやりとした赤い光に満たされている。
 陽子の背中に続いて地響きの震源地へ下りて行くと、行き止まりに、巨大な黒い鉄扉が閉ざされていた。
 陽子の手が鉄扉に触れた。手の腹が押し潰れ、二の腕が筋ばり、陽子が全身でもたれかかった。
 扉が重々しく押し開かれ、隙間から轟音が漏れ出した。
 陽子は中に入り、受付の女と話をした。しかし、内容はリズムで聞こえない。恐らく、仕事のことと俺のことだろう。俺はドアのところで待った。
 厚さ七センチの鉄扉は手に冷たく、重く、力強く閉じようとする。俺は爪先を引っかけて待った。受付の女の頬が笑い、俺に目配せした。俺は目を逸らさなかった。陽子が俺に振り返った。話がついたらしい。俺は受付の女に会釈して爪先を外した。鉄扉はゆっくり、重々しく、完全に、閉じた。
 陽子が口を俺の耳に近づけた。「じゃあ私、仕事するから、みいちゃん、中で遊んでて?」俺はうなずいて奥に進み、もう一つの扉を開いた。爆風が鼓膜の奥を貫いた。
 点滅する暗がりが、ハウスの衝撃で満たされていた。
 躍動し、脈打つ肉体が点滅している。沈み、翻る肩が点滅している。フロアを埋め尽くす無数の肉体が、いや、ハコそのものが、カエルの解剖で見た心臓だ。
 何て心地いい一体感。
 濃密な宇宙で胎児がうごめくように、あるいは無限の合わせ鏡に吸い込まれるように、圧倒的なリズム波が、頭蓋骨から脳をはみ出させる。
 ある身体はグラスを片手に、ある身体はペットボトルの水を手に、またある身体はもう一つの身体と密着し、全ての身体は溶け出したユートピアのようなこの空間に全く身を委ねている。
 何て心地いい一体感。
 陽子はバーカウンターの中にいた。カウンターには丸がりのゲイが尻をついて身体を揺らし、その横で交わったリングが蛍光しながら回転している。カウンターの横で踊る女のドレスの脇からは、乳房の側面が覗いている。
「なに飲む?」
 左耳近くで掠れ声がした。陽子がいつの間にか隣に立っていた。
「……テキーラ」
「テキーラの、なに?」
「分からない」
「じゃあ……トマトジュースで割ったのは?」
「それでいい……名前は?」
「ストローハット」陽子が俺の腕に触れて微笑み、カウンターへ歩いて行った。


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