LOGOS for web

完結した夏
 婦人が肩を脱力し、目を閉じた。「……はいはい、分かりました。もう陽子の好きなようにやりなさい?」婦人の手が再び食器を集めた。「後で何を言っても、お母さんたちは知りませんからね」集めた食器をトレーに乗せた。
 しばらく沈黙があった後、陽子が椅子を立ち、俺の手を取った。「……いいの?……行くよ?ほんとに、行っちゃうよ?」
 婦人がトレーを持って卓を離れた。「どうぞ、ご自由に」
 陽子が唇を噛んだ……悔しそうな陽子の目……その目が婦人をじっとにらみつける……少し潤んでいるような……そして、俺の手をぐっと引いた……
「あ、あの、ごちそうさまでした」婦人の背中がドアに消えた。
 陽子は勢いよく玄関を出て、強い日差しが照りつける中を黙ったままズンズン歩いて行った。俺は早足で陽子の背中に着いていった。
 昨日の台風が嘘のように、抜けるような青空の下、建ち並ぶ平屋の家々の屋根は一様にまぶしく波打っている。夏草の緑は鮮やかで、歩道の砂埃は白く乾いている。前を歩く陽子の黒い腕が、いきり立った速さで振られている。
「……ねえ、どこ行くの?」
 放物線が下降するように、陽子の歩みが急激に緩んだ。
 二階建ての銀行を右に曲がり、高いネットで囲まれた空地を左に曲がり、陽子の背中はなおも進んだ。道の突き当たりには円柱型の巨大な石油タンクがあり、タンクの横には黒い貨物列車がある。列車の表面には小さな動くものがあり、よく見ると、人間が何やら作業をしているところだった。
「ねえ、ようちゃん……」
「みいちゃん」陽子の背中が立ち止まった。「私、やっぱり帰る」そのまま走って行った。
 鮮明な道を、鮮明な陽子の背中が走って行く。見渡す限りの低い屋根の上には青空がどこまでも広がっていて、もくもくと巨大な入道雲が空高く鮮明に突き出している。小さくなった陽子の姿が空地の角で曲がって消えると、右手近くでセミが鳴いた。
 俺は一人でタンクに歩いた。タンクの手前には二本の赤茶けたレールが走っていて、夏草を挟んでさらに手前にはフェンスが張り巡らされている。フェンスの足下にはマーガレットが群生し、小さなミツバチが忙しそうに行き来している。
 俺はフェンスに沿って歩いて行った。しばらくすると、レールは立ち上がって終点になり、さらに歩いて行くと、幾棟もの倉庫が現れた。倉庫の壁には錆びたトタンの波板が貼られていて、錆びのひどいところでは穴が空いている。その穴からは列車の車輪が見える。整備工場らしい。
 小川を飛び越え、フェンスに沿ってなおも進んで行くと、鉄格子のような大きな門の前に出た。
 門の向こうには舗装のされていない黄土色の道が伸びていて、その両脇に倉庫が建ち並んでいる。道には四本の深いわだちがあって、濁った水が溜まっている。倉庫のシャッターはどれも降ろされているが、中から金属音がカンカンカンと聞こえて来る。


24(遠)-3へ
BBSに感想を書く
著者へメール
寄付
back