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完結した夏
 俺はふらつきながらも、ごまかすためにもう一周だけ店内を廻り、顔を伏せてレジの前を抜けた。「また来てちょうだいねぇ」背中で婦人の優しい声がした。
 店を出て、黒い砂嵐の中を離れの草むらまで走り、膝を突き、次から次へと慌ただしくキャラメルの包装を解き、口いっぱいに頬ばった。舌上に濃厚な甘味が広がった。あごの奥の筋肉が痛いぐらいに収縮した。それでも止めずに次々に頬ばり、歯に粘り着くキャラメルをがむしゃらに噛んで、噛んで、噛み尽くした。
 やがて、震えは治まった。
 見ると、足下の草むらに、菓子の包みが散乱していた。夏草は傾いた日を浴びて、その影を長く落としていた。草の根と根の間には、小さな昆虫が凸凹と走っていた。
 俺はポケットに手を差し入れた。指先に二三の飴玉が当たった。手足の末端に寒気を感じた。俺は慌てて地面を掘った。土の匂いがむっと立ち込め、ミミズやダンゴ虫がうごめいた。ポケットの中身を穴に入れ、急いで土を被せた。すると、その真新しい盛り土の表面に、ボッテリとした婦人の顔が浮き上がり「また来てちょうだいねぇ」と優しく笑った。
 コオロギが短く鳴いた。
 俺は再び土を掘りだした。今度はもっと大きな穴を掘ることにした。そして自分を生き埋めることにした。指先が潰れそうなほど深く地面に指を差し込み、爪が剥がれそうなほど底を引っ掻きながら掘り返した。爪の奥に黒い土が食い込み、周囲のコオロギやスズムシが美しい声で応援した。だが、穴は一向に広がらなかった。
 バッタが目の前を跳び去り、アリの隊列を土ごと投げ捨て、あごの先から汗が滴り、ついに俺は力尽き、ミミズのうごめく浅い穴に身を横たえた。
 切れ切れの息が耳に近く、夕闇の空が正面に見えた。
 青みを残した空に、明星が一粒……二粒……三粒。地面を伝い、コオロギの澄んだ声が身体に響いて来る。汗ばんだ皮膚に、ザラザラと土の感触がある。
 いっそ、このまま息を引き取ってくれないか。
 だが、呼吸は切れ切れでありながらも、力強く繰り返されている。火照った身体から、汗が止めどなく噴き出している。胸の辺りで、心臓が千切れそうなほど高鳴っている。右手に見える屋根の低い工場の窓から、明かりが煌々と放射されている。
「ママ……はやく、帰ってきてよ……」
 俺は起き上がり、歩いた。頭上の外灯にうじゃうじゃと虫が群がっていた。建ち並ぶ家の明かりが道に落ちていた。夜空には、砂を撒き散らしたように無数の星が瞬いていた。だが、俺の家に光はなかった。
 俺はシャワーで身体を洗い、布団に潜った。枕もとの障子が月明かりで柔らかく光っていた。格子の黒さと障子紙の青白さとの淡いコントラストが幽玄だった。虫の音が遠く澄んでいた。


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