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完結した夏
 28(遠)

 ぼんやりと目が覚めた。障子が純白に光っていた。金属的なセミの鳴き声が脳内の壁で乱反射していた。俺の身体でタオルケットがしわくちゃになっていた。
 俺は布団から起き上がり、寝ぼけ眼のまま階段を下りた。排尿をしたかった。玄関のドアの横にあるすりガラスが、外の明るさをぼんやりと教えていた。セミはやはり鳴いていた。階下に下り、トイレに向かってぼんやり廊下を歩き、角を曲がった。その瞬間、俺の両目ははっきり覚めた。
 ……グレーのブリーフに尻と陰茎の形をくっきり浮き立たせ、見知らぬ男がすぐ目前に立っていた……
「おう、ボク」
 筋肉の塊のようなたくましい男が、シェービングクリームを口の周りに付着させて見下ろした。
「おはよう」
 筋肉の筋一本一本まで分かる、筋肉質で毛むくじゃらの脚。下腹部から胸板にかけてモジャモジャと密集している黒い体毛。ゴツゴツとした手に握られているT字の剃刀。
「おはよう」男の低い声に、俺は答えることができなかった。「何だ?挨拶もできないのか?ボク、おはようございますは?」俺は目を伏せた。
「おはよう、ござい、ます……」恐怖で首が引きつった。
「女みたいな声出しやがって」男は洗面台の鏡に向かい、剃刀を頬に当てた。かすかにジョリッと聞こえた音に、俺の身体はビクリとした。
「一人で何をしゃべって……」母のエプロン姿が見えた。初めて見る姿だった。「水面……起きたの……」ジョリッと音がした。
「……なあ、自分のガキぐらい、ちゃんと仕付けとけよ……挨拶はしないわ、女みたいな声出すわ……」ジョリッ。「……見ろよ……ウジウジしやがって……ろくな男に……」
「うるさいよ!」
 母が叫んだ。
「……そんなこと、あんたに言われる筋合い、ないんだよ!」母が腰に俺を抱き締めた。「この子のことひどく言うなら、今すぐ出てってもらうよ!」
 ジョリッ。「何興奮してんだよ……」男の目が母の顔色を伺った。「はいはい、分かりましたよ」ジョリッ。「もう言いまーせーんー」ジョリッ。
「……水面、ひどいことされなかった?ぶたれたりしなかった?」俺は首を横に振った。「おいおい、それじゃまるで、俺が幼児虐待愛好者みたいじゃないか」男が洗面台に身を乗り出して、顔を水に浸した。「本当に何もされなかった?」俺はうなずいた。
「……だいたい、何なんだよ」男の顔がタオルに隠れた。「自分のガキに口紅なんか塗らせて……」俺はハッと思い出した。だが、見上げると、母の目は、すでに俺の口もとを捉えていた。「どうかしてるよ……」俺は母から顔を背けた。


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