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完結した夏
「……みいちゃんのお母さん、どうしたの?」側溝の蓋の溝から伸びた夏草が、どれも白くしおれている。「具合でも、悪いの?……だいじょうぶなの?」「だいじょうぶだよ……」俺は一刻も早くあの声から陽子を引き離そうと、走るように早く手を引いた。「じゃあなんで泣いてるの?」「泣いてるんじゃないよ……」陽子の背中が走って俺を追い越し、振り返った。「じゃあ、なんなの?」
 俺は足を止めた。「なんでも、ないよ……」セミの声が高く聞こえた。
 陽子がじっと俺の目を覗き込んだ。「うそ……ほんとはなんなの?」俺は目を伏せた。「ほんとうに、なんでもないよ……」俺はまた歩きだした。「ねえ、教えてよ!ねえ!みーいーちゃーん!」俺は陽子に振り返リ、叫んだ。
「なんでもないったら!」ヤセッポッチの陽子の頭上で、空は完全に雲に覆われていた。

 しばらくして、陽子と俺は裏山にある神社の階段を上っていた。階段の左右には雑然とした松林が広がっていて、その幹の隙間から、さらに向こうの田園風景が見えた。足下の石段は青緑色の苔や細長い松の枯葉に覆われ、所々、欠落している。
「……ようちゃん、宿題、おわった?」「まだだよ……いっちばんのりー!」陽子の後ろ姿が階段を駆け上がって行った。「僕だよー!」
 陽子の後を追って階段を上り切ると、そこには周囲を松林に囲まれた円形の広場があって、中心に、古びた社が建っていた。社に続く石畳の入り口では二匹の勇猛な狛犬が両脇から見張っていて、周囲の松林から発せられるセミの合唱は社を包み込むように高らかに反響していた。
「……」陽子が社に走って行った。「みいちゃんもはやくー!」
 社の木の階段をギシギシきしませながら上ると、本殿の扉は閉じられていた。背伸びして扉の格子窓から中を覗くと、薄暗い本殿に何かの木像が見えた。
 背中でカランと鐘の音がして振り向くと、陽子が賽銭箱の前で手を合わせていた。俺も急いで陽子の隣に立ち、手を合わせた。だが、願い事は思いつかなかった。陽子が目を開けた。
「ようちゃん、なにおねがいしたの?」「ひーみーつー」陽子が階段を駆け下りた。「おねがいごと教えちゃったら、かなわないんだよ!」社の裏に消えて行った。
 俺は階段を下りてしゃがみ込み、石畳を掘り起こそうと引っ張った。目の前をセミが低く横切った。セミはそのまま地面に叩きつけられ、転がり、仰向けになりながらも羽ばたき続けた。ジーという鳴き声が、ゼンマイ仕掛けのおもちゃのネジが切れて行くのをイメージさせた。見ると、他にも二三の死骸が干からびていた。
「みいちゃーん!」陽子が狛犬の背に乗っていた。「ちょっときてー!」狛犬の下まで行くと、陽子が「いいーでしょー」とニッと笑った。「僕もー!」と俺も狛犬によじ上った。


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