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完結した夏
 29(近)

 チェックインを済ませ、ホテルのベッドに荷物を投げた。陽子はそのまま窓に進み、カーテンを両手で開いた。カーテンレールがシャーッと音を立てた。俺はソファーでタバコに火を点けた。
「きれい……」鳥のように両手を広げる陽子の影の向こうに金色の水平線が見えた。俺はすぐに目を逸らした。目の前のテーブルにあるガラスの灰皿で金光が乱反射していた。
「ねえ見て」だが、俺は壁にかけられたルノワールのパリジェンヌが、金光の中で色彩をうねらせているのを見ていた。「ねえ、みい……」「俺は、いい」ソファーを立ち、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
「……さっきから、なに怒ってるの?」俺は浴室のドアを開けた。
 広い……二十平米はあるだろうか。浴室というより、浴場に近い。白いタイル貼りの床や壁や天井は神々しく、隈なくライトの柔光に満たされている。奥にはゆったり身体を伸ばせる大きな大理石の浴槽があり、右手の壁には大きな鏡とレトロな感じの金の蛇口、シャワーがある。部屋によっては窓がついていて海が眺められそうだが、幸い、ここの浴室には窓がない。
「ねえ!」陽子の掠れ声が浴室に反響した。「なんとか言ったらどう!」「……何を?」俺はビールを傾けた。「いい風呂だ」ビールを置いた。浴槽に湯が張られているのが見えた。
 湯に浸かりながらビールを飲もうと、俺はシャツのボタンを一つ一つ外し始めた。すぐに陽子の手が伸びてきて俺の手を止めさせた。
「お願い……なにを怒ってるのか教えてよ……せっかくこんな素敵なところにきたのに……みいちゃんがそんなんじゃ……」哀願するような陽子の目が見えた。
「何も怒ってない」俺は陽子の手をそっと外し、ボタンを全て外してシャツを脱いだ。ベルトのバックルを解除して、ズボンと下着を脱ぎ下ろした。「じゃあなんでお風呂に入ろうとしてるの?なんで一人で入ろうとしてるの?」俺は置いた缶ビールを手に取った。
「……何が問題なんだ?俺が風呂に入ろうとしてることか?それとも一人で入ろうとしてることか?」ビールを口にしてシャワーを捻った。
「そうじゃない……」シャワーの音に陽子の涙声が混じった。「……なんでわからないの……なんのために海辺のホテルにきたの……二人で一緒に……」
「俺は海が嫌いだと言ったはずだ」身体を軽く流し終わり、シャワーを止めた。「海には一緒に行けない」そして立ち上がった。ビールを持って浴槽に歩いた。
「……わかった。私、一人で行ってくる」「ああ」浴槽に身体を沈めると、あふれた湯が大理石の表面を流れ落ちた。「……なんなの!そんなに海が嫌いなら、最初からこんなところにこなければよかったでしょ!」ドアの閉じられる音が荒々しく響いた。


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