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完結した夏
 31(遠)

「男だったらもっと食べろ」男がテーブルの向こうから箸で俺の皿を指した。「ん?」二つに割れたたくましいあごが髭で青々としている。「ほら」皿を指した。俺はうつむいた。「……ったく」男が食事を頬ばった。
「……ええ、探してるわよ」俺の背後で母が電話をしている。「……うん……今かけ合ってる仕事が、何とかなりそうなの……あ、でも待って……まだはっきり決まったわけじゃなくて……」男の食器がカチャカチャと音を立てている。「……そう……そうよ……だからもう一月だけ……」テーブルに映っている男の顔が、食事を頬ばったり母の方を見たりしている。
 この男は、いつまでこの家にいるのだろう?……母の席のテーブルには食べかけの昼食が残されていて、その隣にはほとんど減っていない俺の昼食がある。テーブルに映っている男の顔は母の皿と俺の皿で少しずつ欠けながら、苛立った様子で口を動かしている。
「ご、ち、そ、う、さ、ま」男が電話口に聞こえるような声で言った。「ちょっと!」振り返ると、母が受話器を手で塞いで男をにらみつけていた。「どういうつもり!」振り返ると、男が嫌気の差した顔で笑っていた。「別に」
「あ、もしもし?ごめんなさい。今、知り合いが家にきてて……なあに、その言い方?私がうそをついてるとでも……」男が俺の頭を小突いて「お前のせいだぞ」立ち上がった。
「どうして自分の娘を信じられないの?……いっつもそう……」男の毛深い脚が母の白い脚に寄り、ゴツゴツした大きな手が母の尻を丸く撫でた。母が受話器を耳に当てたまま、男をきつくにらみつけた。「おーこわ」男がおどけて部屋を出た。
「……うそ!お母さん、私のこと一度だって信じてくれたことないじゃない!あのときだってそう!……お母さん、あいつのことばかりかばって……私だけを悪者にして……どうしてなの?ねえ……私のことが、そんなに邪魔なの?」
 男が部屋に戻ってきて、歩きざま、母の尻をまた撫でた。瞬間、母が男の頬を力一杯張った。「いい加減にしてよ!」男の目に怒りが走った。「何だぁ?」二人はしばらくにらみ合った。窓からジーッとアブラゼミの声が高鳴った。


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