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完結した夏
 36(近)

 文香はベッドで仰向けになったまま、人形のように動かなかった。両目は瞬きもせずに天井を見詰め、唇は力なく半開いていた。
 今日で……二日になる。
 俺は文香を座らせようと、前から両脇に手を差し入れて上半身を抱え起こした。二本の鎖骨の向こうで文香の首が人形のように垂れ下がり、さらにその向こうで、シーツに広がっていた黒髪が寄り集まった。文香の上体が起き上がり、頭が振り子ように前に垂れると、サイドテーブルにナイフが見えた。俺が昨日買って来たサバイバルナイフだ。
 早く来い……そのとき俺は奴と刺し違える。
 ベッドに座る文香の背中は力なく丸まり、腕は垂れ、艶を失った長い黒髪はボサボサに乱れて顔を覆っている。俺は棚からブラシを取り出し、電話のプラグが差し込まれているのを確認し、文香の髪に差し当てた。
 奴を文香の目前で惨殺する。
 文香の頭頂部を綺麗に七三に選り分けた。鋭利な刃と溝で奴の脇腹をえぐり、文香の毛先を手に取ってとかし、陰茎を切り取り、真ん中をとかし、眼球に突き刺し、根もとから真っ直ぐにとかし下ろし、グチャグチャと掻き回す。
 その後、切り刻んで肉片になった奴を掻き集め、前髪を横に流し、便器にぶち込み、耳にかけ、その上に俺は脱糞し、背後に廻り、渦を巻かせて流し去り、後ろ髪をとかした。
 そして、溜まった水の表面が透明に揺らめいた時……その時こそ……少なくとも俺の……丸まった文香の背中に、背骨が点々と浮き上がっている。
 ジュ、ザザ……キッチンで土鍋が噴きこぼれた。俺はタバコを口にくわえ、コンロのつまみをひねって消すと、白濁した汁が土鍋の表面で泡立っていた。
 俺はタバコに火を点けた……人間は飲まず食わずでは三日しか生きられないと聞いた憶えがある。
 土鍋の蓋を外し、湯気立つ卵雑炊にレンゲを挿した。窓に煙を吐き出して、文香の隣に腰かけると、ベッドが沈み、文香が軽く傾いた。俺はレンゲに雑炊を取り、息を吹きかけてよく冷まし、力なく緩んでいる文香の口に差し出した。
「口、開けろ」だが、文香の唇は動かなかった。
 俺は文香のあごをぐっと押し開け、雑炊をそっと流し込んだ。
 ゲホッ……文香がむせ込んだ。ゲホッ、ゲホッ……そのたびに雑炊の米粒やグチャグチャの卵が噴き出し……ゲホッ……俺の顔に真っ直ぐ飛来し……ゲホッ……文香の脚やシーツに飛び散り……ゲホッ、ゲホッ……床や壁や……
 ゲ、ボォッ……そして嘔吐した。


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