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完結した夏
 文香の身体が腰から深く折れ曲がった……ゲホッ、ゲホッ……むせ込むたびに文香の背中の筋肉がピンと張り詰め……ゲホッ……弛緩し……ゲホッ、ゲホッ……張り詰め……
 ゲホッ……そして、そのまま動かなくなった。
 俺は文香を抱え起こした。文香の膝の間のシーツにはグチャグチャの液体が広がっていて、それと同じ液体が文香の身体の表面でも流れていた。俺はウェットティッシュを引き出した。文香の口の周りには汚物がドロリと流れていて、そこに髪が付着していた。顔から髪を剥がし取り、ティッシュで口の汚物を拭うと、文香の半ば開いた唇や青白く透き通った頬が、そのたびごとに瑞々しく震えた。
 俺は文香の頭を抱き寄せた。「頼む……」文香の頭に頬を着けた。「頼む……」腕の中の文香のまぶたは人形のように瞬かなかった。「頼む……」その時……
 トゥルルルル!背後で電話が鳴った。トゥルルルル!俺はゆっくりと振り向いた。トゥルルルル!電話機から発せられる着信通知の赤い光が、閉め切った白いカーテンを点滅させた。トゥルルルル!垂れた髪に透けて見える文香の頬が、うっすら微笑んでいるような気がした。
 トゥルルルル!俺はゆっくり立ち上がった。トゥルルルル!ローテーブルに置いてあるナイフに映り込んだ白壁が、俺の頭で真っ赤に染まり「くそっ……」奴に一方的に刺し殺される自分が目の前で繰り返しシミュレートされた。トゥル……
「あい……高沢、です……」「俺だ」

 ……『俺』?

「お前、最近、全然電話に出なかったなあ?んん?さぞ勉強に忙しかったんだろうなあ?ええ?おい……」
「……てめえ」俺は受話器を持ち替えた。「こんなときにかけてくんじゃねえ!」受話器を叩きつけた。するとまたかかって来た。俺は受話器を上げて叫んだ。「かけてくんなって言ってんだろ!」
「……みいちゃん?」トゥルルルル……受話器の中で、キャッチフォンのコールが遠く聞こえた。
「……どうしたの?」「……いや」キャッチフォンのコールが遠く聞こえた。「……何だ」「ああ……あのさ……これから、出てこない?ちょっと話があるんだけど」キャッチフォンのコールが遠く聞こえた。「今は無理だ」「どうして?」キャッチフォンのコールが遠く聞こえた。「今度にしてくれ」「今度じゃだめなんだよ……今じゃないと……でないと……」キャッチフォンのコールが遠く聞こえた。「じゃあ無理だ」「お願い、大事な話なの」キャッチフォンのコールが遠く聞こえた。「私にだけじゃない、みいちゃんにとっても大事な話だから」
 ……受話器の中で、キャッチフォンのコールが消えた。


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