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完結した夏
 41(現)

 チャイムを押した。金色の空。ガラス戸を開いた。内に歩いた。
 正面の土壁。西日に投げられた俺の影。古びた廊下。黒光る廊下。右手の障子戸。開け放された障子戸。日焼けした畳。色褪せた畳。虫の音。虫の音。一斉に鳴く虫の音。充満する虫の音。「はぁい」女の返事。きしむ廊下。足音。よれよれの女。毛玉だらけのフェルトズボン。首のよれた袖なし肌着。叔父の妻、義理の叔母、育ての母。「な……」立ち止まる叔母。露骨な嫌悪。「あんたぁ!」振り返る後頭部。西日に光るほつれ毛。
 土壁の俺。その頭髪。その一本一本。その俺は生きている。前後にうごめいている。渦巻いている。切迫する。ヒグラシの異様な叫び。アブラゼミの異様な叫び。ミンミンゼミの異様な叫び。俺の脳で交錯する。反響する。乱反射する。「何しにきた」男の声。人影。陰から光の領域へ。ミイラのように干からびた身体。ハゲタカのようにギョロついた目。「何しにきたんだ!」迫る叔父。

 ……俺は、何しに来たんだ?

「何でお前がここにいる!」叔父のしわくちゃの手が胸倉をつかんだ。「学校はどうした!」叔父の口もとのしわが縦に伸びた。「ああ!誰に許しをもらってこんなところにいる!」叔父の唾が顔に降り注いだ。「おお!答えろ!」降り注いだ唾が臭気を発する。
 ……俺は、何しに……「終わらせにきた」
 俺はバッグに手を突っ込んで、タオルに包んだナイフを取り出した。「何だ、それは」包んだタオルをゆっくり開いた。俺の目が潤んだ。それはまるでヘソの緒だった。「何の、つもりだ」文香の血肉に染まった黒いナイフは白い糸を身にまとい、まるで文香のヘソの緒だった。「何を、する気だ……」叔父の足がわずかに後退さった。
 俺はナイフを握り締めた。「終わらせにきた」
 そして握り締めたナイフの柄を向けて、叔父の胸に差し出した。「な、ん……」そしてわけも分からず開いた感じの叔父のしわくちゃの手のひらに、神聖なナイフを握らせた。そしてまたバッグに手を突っ込んだ。ある紙切れを取り出した。ある紙切れを取り出して、逆の手に握らせた。
 ……お前が保証する、借用証書だ。
 おずおずと、しわくちゃの手が証書を広げ、ミイラの頭がそれに傾き、ハゲタカの目が読み取った。
 ……さあ、どうなる。
 文香に染まったそのナイフが、俺をぐちゃぐちゃに切り裂くか?その前にどんな罵声を浴びる?それとも夫婦で突然か?それとも叔母が駆けて来て単独でか?さあ、どうなる?さあ……さあ!
「ハ……」叔父の目が、生きたまま、まぶたの裏を見た。「ハ、ハ、ハ、ハ……」ナイフと紙を持った叔父の手が、力なくダラリと垂れ下がった。
「ハ、ハハハハハ!ハハハハハハ!」
 家中に声が響き渡った。裏返り、嗄れて、悲鳴のような、笑いのような、そんな叫びが外まで響いた。叔母が奥で半身を出した。叔父は白目を剥いて頭を抱え、むちゃくちゃな力を顔に込め、しわというしわが伸び切った。


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