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冷やされる少女
1999木戸隆行
イベント「SPEAK ORANGE」VIDEO上映作品

 1

 僕は自分がなにものか分からなかった。少なくとも、人間であるとは言いがたい、あるなにものかだった。証拠に、僕たちの冷蔵庫には一人の少女が凍りづけにされていた。少女は扉を開けるといつも不安げに僕たちを見上げた。そのすぐ脇から、アンナは高飛車なエプロン姿で炭酸水を冷徹に取り出すのだった。少女はなかばあきらめの混じった悲しい目つきでその手を眺めると、またしっかりと扉を閉じられるのだった。僕はというと、たとえば水の完全に乾き切った脱脂綿のように、一日中肘かけもついていない一本足のイスにだらりと、しかし断固として座りつづけるのだった。
 部屋には三脚のイスと冷蔵庫、あとは一体のセルロイド人形の他にはなにもなかった。もちろんちょっとした食器などはあるにはあったが、それにしても必要なものすらそぎ落とされたシンプルな部屋に、三脚のイスは多すぎると言えなくもなかった。なぜなら僕たちは冷蔵庫の少女に一度もイスを与えたことがないし、また来客者たちにも与えたことがなかったのだ。
 少女は冷やされる前、立っていた。ただじっと。腐れかかった床板にフェルトでできた赤い靴で立ち、むすんだ両手を胸の前でまごつかせながらじっとうつむいていた。その長い金色の髪が脂ぎって妙な艶を帯びていた。また、来客者たちも立っていた。ある男は壁に片足をかけて寄りかかり、手にした空瓶のなかの架空のなにものかを飲みつづけていた。またある女は、床に転がした他の男を踏み台にして、両手を深々とストッキングに突っ込むと、一日中しっくりくることなくたぐり上げていた。その周りを、アンナは胴の長い犬を連れてさっそうと部屋を散歩した。そのとき少女は片隅で、やはりじっとうつむいていた。そしてその隣にある一脚のイス……
 一脚のイス、いつもこれが目についた。イスはつねにその腰かけの部分の空白を僕に告発し続けた。またはその背もたれを。それは白く差し込む朝、棺のように開かれる夜、部屋を宙吊りにする雨、または霧、どんなときでも変わらなかった。いまさら白々しく「これはなんのために?」などと問う気にもなれなかった。それほど長いあいだ、この腰かけは宙ぶらりんだった。長いあいだ?──それを僕は思い出したい。


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