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廃墟の部屋

1999年 木戸隆行
プロジェクト「LOVE CRAZY-vol.1-」掲載作品
 これでよし。準備は整った。
 一月前に見付けた、この廃ビルの最上階。火事で焼けたのか、壁も天井も煤で黒ずみ、床には同じく黒ずんだ石膏のクズや鉄のクズがボロボロと積み重なっている。窓は見渡す限りどれもガラスがなく、窓枠にはその残骸が細々と残っている。
 窓の外は霧雨だ。
 霧は窓からビルに入り、この広いフロアを漂っている。フロアの所々に突き出しているコンクリートの太い柱は、その霧を掻き分けたり包まれたりしている。
 俺は運び入れたイスに腰掛けた。そしてタバコに火を点けた。
 向こうの黒ずんだ天井から、途切れ途切れに雨が滴っている。滴った雨は床に落ち、黒い水溜まりを作っている。黒い水溜まりは窓の外の白く煙った空を映し、瑞々しくきらめいている。
 俺は想像した。この空が赤い夕焼けに染まったところを、あるいは澄み切った青空に一羽の鳥が飛ぶところを、そして、無数の星がきらめく夜空を。
 事実、一羽の鳥が、窓枠に留まって雨宿りをしている。鳥の丸い後頭部が湿った毛に覆われていて愛らしい。しきりに左右に首を振り、くちばしが見え隠れする。
 俺はテーブルから缶ビールを持ち上げた。あの鳥が驚いて逃げないように慎重に蓋を上げ、ゆっくり喉に流し込んだ。
 俺はここで死ぬつもりだ。死ぬといっても自殺ではない。ここで寿命を終えるつもりなのだ。
 この人生には疲れた。いや、疲れたと言うよりも、飽きたと言ったほうがいい。
 この世にドラマはない。あるのはただ、集めることと、見せびらかすことだけだ。それが分かった。そして価値というものの不在も。一人で生きて行けるという事実も。
 だから俺はここで一人で、酒を山と買い込んで、そして空や鳥を見ながら死んで行くのだ。風を感じ、温度を感じ、湿度を感じ、絵を見ず、音楽を聴かず、文字を読まず、そうやって死んで行くのだ。
 時には鳥が、このフロアを飛び回るだろう。時にはこのテーブルに留まり、俺の酒にくちばしを差し込むだろう。そしてこのテーブルに白い糞をピタリと落とし、その悪臭が俺の鼻を苛むだろう。それでいい。
 そして俺はミイラとなって、クレーンに吊られた巨大な鉄球にビルごと打ち砕かれ、飛び散り、崩壊するままに身を任せるのだ。瓦礫とともに山に捨てられ、やがて瓦礫そのものとなるのだ。二度と掘り返されることのない地層へ没し、そして全てから忘れ去られるのだ。素晴らしい。
 霧に満たされた窓枠で、あの鳥がいまだ外を見渡している。