Original Contents: © LOGOS for web (http://www.logos-web.net/)



MICROMANCE

1998年 木戸隆行
 5

「おいGUU……GUU! 起きろー!」
 薄目を開けると、フトンから上半身を起こしたあいつが私の肩を揺すってる。
「やべぇよGUU!」
 そんなのは、キミの様子を見ればなんとなくわかるよ。首が自然に時計を見そうになったから、がんばってやめさせた。見たくない。
「起きろよ! もう十……」
 耳をふさいだ。でもダメだった。ベッドから私の体に伝わってきた。明るさが、きつく閉じたまぶたから伝わってきた。私はフトンにもぐって小さくなる。あー、フカフカー。
「GUU!」
 十二時二十分。
 あいつの揺すりかたが激しくなる。私のフカフカを奪おうとする。
「強盗!」
 ミノ虫である私は右手だけ出してあいつの体をつき飛ばす。力いっぱい。それを、あいつのかたいウデがじゃまをする。
「もう知らないからな!」
 私はつき飛ばそうとした手で、こんどはあいつのウデをひっぱる。
「なんだよ!」
 フトンから顔を出してみたら、あいつの顔が本気で怒ってた。
「GUUにはみんなが駅で俺たちを待ってる姿が目に浮かばないのか? 腕時計を見ながら、重い荷物を肩に掛けて、不安そうにキョロキョロ通行人を調べてる姿が!」
 じっと私をにらんでる。めちゃめちゃ怖い。私はおそるおそるあいつのウデをはなした。
「……ごめんなさい」
「……目覚し、なんで鳴らなかったんだ?」
「知らないよ。私がちゃんとセットしたの、BAKAだって知ってるでしょ?」
 あいつは私の足もとにおいてある目覚し時計を手にとった。
「なんで一時にセットされてんだ?」
「そんなはずない。ちょっと見せてよ……あ」
 オレンジ色の針が、のうのうと一時をさしてる。
「昨日俺があんなに聞いたよな、ちゃんと六時にセットしたのかって。それなのにGUUは確認もしないで、大丈夫大丈夫って」
「……」
「なんでちゃんと確認しなかったんだ? なあ? なんで?」
 あいつのツバが飛んだ。
「ちょっと! そんなに責めないでよ! 私にどうしろって言うの? うちの引き出しにタイムマシーンなんてついてないんだよ? それとも私が後悔してる顔を見て満足したいだけなの? ねえ!」
 あいつはアゴをあげて両目をカッと見開いた。
「ああ、そうだよ。後悔した顔、しろよ。タイムマシーンがないんなら、お前が作れよ。なんならドラエモンでもいいんだぞ」
「死んじまえー!」
 私はベッドから飛び出して、服をひっぱり出して、着替えて、スニーカーに足をつっ込んで、玄関を飛び出して、自転車にまたがった。
 BAKAなんて!
 橋なんて怖く、ない。山手通りを走り抜けて駒沢通りへ。立ちこぎで坂をのぼりきる。人込みのなかをサッソウと……
「いったーい!」
 植え込みに引っかかった私のオレンジ色の自転車が、クルクルカチカチ回ってる。私は歩道に倒れてる。
 あー、いい天気だなー。
 青空には小さくてまっ白な雲が、いち、に、さん、よっつ。ギラギラの太陽目がけて、セブンクォーターのビルから一羽のハトが飛び立った。
 上半身を起こしてみた。遠くで信号が赤。女の子の連れたラブラドールが、私の匂いをかいで、過ぎてった。植え込みの紫色のツツジの花が、私の自転車を囲むようにいっぱい咲いてる。
 あーあ、ヒジ、すりむいちゃってる。
 立ちあがって砂を払うと、目のまえのお店の人がのぞいてた。
「大丈夫ですかあ?」
「は、はい」
 BAKAのせいだ。
 自転車を起こして走りだす。モスで曲がって、茶屋坂のほうへ。ケヤキのアーチをくぐり抜け、ブロック塀にそって走る。右手に太陽。まうえに青空。
 バス停を過ぎてポストが見えたら左に曲がって細い路地。泥棒見たらヒャクトウバン。タバコの自販機を越える。見えたー。
 公園からニョキニョキ桜がのびてる。すみからすみまで満開だー。公園を回って電話ボックスを過ぎる。
 いたー。恵比寿駅からみんなが手を振ってる。声が聞こえる。
「寝坊ー!」
 ごめんねー。
 紺のウインドブレーカーはKIDOくん。黒のカーディガンはAKIさん。赤いサングラスはMANABUさん。オーバーオールはMIKAちゃん。ボウシはMONKEY。みんな、そろってるみたい。
 交差点で横断歩道をわたる。坂をのぼりきってみんなのところに着くと、MIKAちゃんが口だけ笑って言った。
「ちょっとあんた、ひとをあーんなへき地から呼んどいて、これはなーんのマネだい?」
「ほんっとごめーん」
「YASUKOちゃん、SATOSHIくんはー?」
 AKIさんの質問に、私は眉をしかめて口をとがらせた。それを見たMIKAちゃんが言った。
「あーんたたち、まーたケンカしたのー?」
「あいつ、ひどいんだよー」
 MONKEYが言った。
「YASUKOちゃん、どうしたの、その格好?」
 MANABUさんがサングラスをあげてのぞいた。
「肘から血ー出てるよー?」
「くるとき、転んだの」
 AKIさんが心配そうな顔をした。
「どこでー?」
「うーんと……セブンクォーターのあたり」
 MIKAちゃんが言った。
「ほんと、ドジねえー」
 KIDOくんは今日も青白い顔で、クーラーボックスを肩にかけたまま落ち着かない様子でタバコをふかしてる。そう言えば、KIDOくんがこのメンバーと顔をあわせるのははじめて。
「KIDOくん、げんきー?」
「元気です、ははは」
 KIDOくんが頭をかいて笑った。MANABUさんが振り返った。
「やーっぱり君がKIDO君だったんだー。言ってくれればいいのに」
「ははは」
 KIDOくんがいつまでも笑ってばかりだから、私が紹介する。
「みなさん、こちら、写真家のKIDOくん。KIDOくん、この人がMIKAちゃん。この人がMIKAちゃんの彼のMONKEY。それでこの人が……」
 KIDOくんは紹介されるたびに伏目がちに口だけ笑わせて「はじめまして」とあいさつした。
 MONKEYが聞いた。
「写真って、どんな雑誌に載ってんの?」
 KIDOくんははにかんで、顔のまえで手を振った。
「あ、いや、まだぜんぜんそんなんじゃないんです。ただ目指してるってだけで、はは……あ、SATOさん、来ました」
 交差点にあいつが見えた。肩に私のショルダーバッグをかけて、両ウデにいっぱいつまった買い物袋をぶらさげてる。
 あいつは顔をひきつらせて坂をのぼってくる。エメラルドグリーンの自転車。キキキ。ブレーキの音。
「大変、お待たせ、し、ま、し、た」
 あいつは自転車から降りるなり私をにらんだ。そしてすぐにムシした。MIKAちゃんが言った。
「SATOちゃん、君たち二人はケンカ中なんだってー?」
「違う違う、こいつが一人で勝手に怒ってんだよ」
 私はあいつをにらんだ。あいつはムシしてる。
「こーいつ、なーんにも準備してかないから、俺が食べものから敷物から、ぜーんぶもって来るはめになってさー。おまけにALに朝メシやるのまで忘れて、あームカツク」
 AKIさんが少し怒ったような声で言った。
「SATOSHIくん、YASUKOちゃん、来るとき転んでケガしたんだよー?」
 あいつは横目で私を見た。
「なあにー?」
 にらんだらまたムシされた。MANABUさんが笑って言った。
「SATOSHIくん、とりあえず行こうか」
「ああ、そうだね」
 あいつを先頭に、私たち一行は公園に移動しはじめた。男たちが先を歩き、少し離れて私たち。さっきのぼってきた坂をくだる。
 歩きながらMIKAちゃんが話した。
「ケンカといえば、私もこのあいだMONKEYとケンカしたよー」
「またー?」
 AKIさんがのぞき込んだ。
「今度はどうしたのー?」
「あのねー、このまえ、仕事が早く終わった夜にー、MONKEYの好きそおーなアイスと、私の好きーなアイスを一生けーんめい選んで、買って帰ったの。それでー、うちに着いたらMONKEYがもう帰ってて、私が『アイス買ってきたよー、食べるー?』って聞いたら、MONKEYは『ああ』ってその日のうちに食べたんだけど、私はあとのお楽しみにして自分の分は食べないでとっておいたの。そーれが! 次の日、冷蔵庫を開けたら私のアイスがなくって、『ちょっとMONKEY、私のアイスしらない!』って聞いたら、あっさり『ああ、あれなら食べたよ』だあーってー!」
 私とAKIさんは一緒にさけんだ。
「ひーどーい!」
 交差点で信号待ち。MIKAちゃんが続ける。
「でもー、その時はちょうど友達が来てたから、キイーってなっちゃいけないーって思って『ふうーん』ってなーんともない振りしたんだけど、次の日、MONKEYに『あんた、私のアイスを食べるなんてひどいじゃない! ガミガミ』って怒ったら『なんで今頃そんなこと言ってんの?』ってプイッとして、そのあとは私がなーにを言ってもムシするの」
「BAKAもそうだよー。黙り込んだらもうダメー」
 あいつとMONKEYの笑い声。MANABUさんの声。信号が青に変わり、私たち一行は横断歩道をわたる。
 AKIさんが聞いた。
「そのまえのケンカって、どうしたんだっけー?」
「そのまえはー、仕事が終わってー、私がMONKEYに、その日あった、あーんな出来事や、こーんな出来事を、一生けーんめいに話してるのに、MONKEYは返事もしないから『ねえ、ちょっと聞いてるの!』って言ったら『なに言ってるか全然わかんないよ』ってプイってして、私がキイーってなったの」
「MIKAちゃんのキイーってなってる姿、めっちゃめちゃ想像できるー」
 横断歩道をわたって右に曲がる。公園からのびてる桜の屋根。近づく。ほんとだ。ぼたん雪が時間を忘れて空に留まってるみたい。
「そう言えば、AKIさんたちは仲直りしたのー?」
「……」
 まだ、みたい。
 まえを行く男たち一行。KIDOくんだけ少し遅れて歩いてる。MIKAちゃんが聞いた。
「KIDOくん、はー、あんまりしゃべらない人なのー?」
「うーん……そうかもー。酔うとめちゃめちゃおしゃべりなんだけど……ねー! KIDOくーん!」
 KIDOくんは首だけ振り返った。私が「ちょっと」と手招きすると、KIDOくんは立ちどまって私たちを待って、声に出さずに「何ですか?」の顔をした。
 MIKAちゃんが聞いた。
「KIDOくん、はー、どんな、写真、撮る人なのー?」
 KIDOくんは、ちらっとMIKAちゃんの顔を見て、私の顔を見て、目を伏せて首をかしげた。MIKAちゃんはその様子を見て、私を見た。
「これは早く飲ませないとね」
 公園に続く階段をのぼる。向こうからざわめきが聞こえてくる。あいつがうえで立ちどまった。
「うぅーわ」
 あいつがつぶやいた。背のびしてのぞいたら、公園は家族連れの人たちでごった返してた。
「どうすっかなー」
 あいつが頭をかいた。
 人込みからひょこんとつき出した青い鉄棒。その奥に並んでる桜の幹のあいだから山手線の電車が見えた。私は背のびをやめてタバコに火をつけた。
 青空に太陽。階段に木陰。なまぬるい風がタバコの煙を巻き込んで空いっぱいに吹き抜ける。
「空くまで待ちましょう」
 KIDOくんは肩からクーラーボックスをおろした。
「そうだねー」
 階段をうめつくす私たち一行。KIDOくんがクーラーボックスからお酒をとりわける。私はあんずのお酒。
「ま、とりあえず場所が空くまでテキトウに。んじゃあ、かんぱーい」
 みんなは缶をあわせた。一口飲んでみた。気のせいか桜の味がする。AKIさんが階段に座った。
「YASUKOちゃん、小説のほうはどう?」
 MIKAちゃんが振り返った。
「小説ー?」
「そう。私、小説家になったんだよー」
 AKIさんがうれしそうに言った。
「MIKAちゃん、その小説に私も登場するんだよー」
 MIKAちゃんが言った。
「私はー?」
「登場するよー!」
「ほーんとー?」
 MIKAちゃんは振り返ってあいつを見あげた。
「ねえSATOちゃーん! 私、YAっちゃんの小説に登場するんだってー!」
 あいつは顔だけ振り向いて答えた。
「あー、俺も登場するよー」
 MIKAちゃんが私に振り返った。
「そうなのー?」
「うん」
「私と、どっちがいっぱい出るー?」
「BAKA。あいつ、最初から最後まで出るからー」
 AKIさんが聞いた。
「じゃーあー、SATOSHIくんがー、主人公なのー?」
「主人公ー? うーん、だれだろう……私、かなあー」
 MIKAちゃんが言った。
「あんたまーさか、自伝なんか書いてんじゃないでしょうねえー?」
「ジデン、って?」
 MIKAちゃんも階段に座った。
「自伝っていうのはー、自分の、こーんないいとこや、あーんないいところを、えーんえんと書きつらねるやーつよ」
「ううん、いいとこじゃなくてー、事実……フフフ、ナイテキジジツを書いてるんだよー」
 MIKAちゃんが言った。
「ナイテキジジツだかグレイシージュウジュツだか知らないけど、いったい私はどれくらい登場するのさ?」
「うーん、このくらいかなあ」
 私は親指と人差し指をちょっとだけ開いて見せた。MIKAちゃんの顔色が変わった。めちゃめちゃ不満そう。AKIさんが言った。
「YASUKOちゃん、完成したら読ませてねー」
 MIKAちゃんが「……私もー」って言った。
「フフフフ、いーいーよー」
「KIDOくんも、こんど写真見せてねー」
 AKIさんの声にKIDOくんは顔を思いきり笑わせて答えた。
「あそこ、帰るみたいだね」
 男たちが立ちあがって荷物を持った。
「このあいだね」
「うん」
 私たちものろのろと続く。
「うちの近くのゴミ捨て場でゴミ捨てしてたときに、向こうからボロボロなかっこうした浮浪者の人が私の目をじいーっと見つめながら近づいてきたの。私は怖くなって身構えたら、その浮浪者の人が『あのー、ちょっとお聞きしたいのですが、渋谷駅に行くにはどちらの方角に向かったらよろしいのでしょうかー?』って、めっちゃめちゃていねいな言葉で道をたずねてきたの。中目黒の駅がすぐ近くに見えるのに、なんで渋谷駅なんだろうって思ったんだけど、その人はたずねながらもじりじり近づいてくるから、もう私、怖くてめちゃめちゃになって、あとずさりしながらとっさに『あ、ああ、あっちです!』って目黒の方角を指差しちゃったの。中目黒でも恵比寿でも、まして渋谷でもなくて。それで、その人は『ありがとうございました』ってふかぶかとおじぎして私が指差したほうに歩いて行っちゃって、私は『ああああー、神様、ごめんなさい、ごめんなさい』って」
「目黒駅に着いたときのその人の様子が目に浮かぶよ」
 桜の木陰に三枚のレジャーシートがはためきながら広がった。そのうえに、それぞれが持ち寄ったお弁当を広げていく。サンドイッチ、おにぎり、ソーセージ、卵焼き、いろいろ。
「ごめんなさいねえ、うちだけこんなんでー」
 そう言いながら、あいつは買い物袋からポテトチップス、サラミ、さきいか、缶詰め、コンビニの焼きそばをとり出した。それじゃあほんとにお酒のつまみじゃない。
 KIDOくんは肩からクーラーボックスをおろした。
「そう言えばKIDOくん、お酒、いくらだったー?」
「あ、いや、いいんですよ。親父の差し入れです」
「ほんとー? ねえー! お酒はKIDOくんのお父さんのオゴリだってー!」
 みんなでKIDOくんに「ごちそうさまー」って感謝した。KIDOくんは「ははは、俺の金じゃないですよ」って笑った。
 MANABUさんは持ってきたラジカセを流した。
「やっぱり花見と言ったらこの曲でしょう」
 みんなは荷物をおいて座っていく。BAKA、私、KIDOくん、MANABUさん、MONKEY、AKIさん、MIKAちゃん。準備が終わったところで、あらためて乾杯した。
 あー、キレイだなあー。
 目のまえいっぱいに枝が低くたれさがって、桜の花に囲まれてるみたい。花びらのすきまで青空が瞬いてる。みんなの体の表面で木漏れ日のかけらがうごめいてる。
「BAKA、まだ怒ってるー?」
 あいつが桜を見ながらしみじみ言った。
「花見って、いいよなあ」
 よかった。笑ってる。
「YAっちゃーん」
 MIKAちゃんがタバコを吸いながらやってきた。
「あのねー、いまー、私とAKIさんが相談した結果ー、YAっちゃんが小説の印税もらったらー、私たちはー、出演料としてー、YAっちゃんにサンダル買って、もらえることになったの」
「なにそれー!」
 私が笑うと向こうでMANABUさんが首をのばした。
「え? なになに? YASUKOちゃん印税もらってんのー?」
「まだー。でもねー、もうすぐノーベル文学賞を授賞する予定なのー」
「ほんとに?」
 MONKEYの質問に、あいつはきっぱり「んなわけないよ」と答えた。
「でも、いいとこまでいってんでしょ?」
 あいつはまたきっぱり「まだ、できてもいないんだよ」と答えた。MONKEYは少し顔をひきつらせて「ああ、そうなんだ」って顔を戻した。
「どうしてBAKAが答えるのー?」
「だって、二人とも俺に聞いたんじゃん。そうだよねー、KIDOくーん」
 KIDOくんが振り向いた。あいつは手を振った。
「元気ー? ちゃんと飲んでるー?」
 KIDOくんは思いきり顔をニコッとさせた。
「飲んでます!」
「その割に静かだねえ、もっと飲んだらー? 俺が取ってあげようかー?」
 あいつは立ちあがってクーラーボックスに手をかけた。そしてフタを開けた瞬間、動きがとまった。振り返ったあいつの顔が真剣だった。
「これ……本当にぜんぶおじさんの差し入れ?」
 KIDOくんは一気に飲もうとしてたビールをとめて答えた。
「え……ええ、そうですよ? たとえ余っても、足りないなんてことのないようにいっぱい買って行け、って言われたんで……」
「……本当に?」
「え、ええ」
「……なら、いいけどさ」
 あいつがKIDOくんにビールを手わたした。KIDOくんは、とめてたビールを飲み干した。向こうでAKIさんとMANABUさんとMONKEYがお弁当をつついておしゃべりしてる。
「ねえMIKAちゃん、昨日もお店番してたー?」
 MIKAちゃんは煙をはいた。
「うん。まいにちまいにち朝から夜までお店番。どんなにヒマでもお店番。このあいだなんかだーれもお客が来なくて、いちにちぼおーっとしてたんだよー」
 MIKAちゃんとMONKEYは、荻窪で自分たちのお店を開いてる。名前は「Ye−Ye」。家具とかレコードとか本とか生活雑貨とか、いろいろ売ってる楽しいところ 。
「ねえBAKA、こんどKIDOくんも連れてYe−Yeに遊びに行こうよー」
「……だってー、KIDOくーん」
 KIDOくんがハッと顔をあげて、また思いきりニコッとした。
「行きます!」
「……だってー、GUU」
 あいつはそう言ってビールを飲み干した。MIKAちゃんはKIDOくんをボーゼンと見てた。
「突然ニッとあらわれるあの笑顔、夜、夢に出てきそうだよ」
 KIDOくんはさらにニコッとした。向こうからMANABUさんとMONKEYの笑い声がした。私はタバコに火をつけた。
 あんなに公園をうずめてた家族連れもだいぶ減って、いまでは……七組。そのうちの一組が帰りじたくをはじめてる。目のまえにたれさがった桜の枝をざわざわ揺らして、たくさんのハトが舞い降りてきた。後ろを振り返ると、ガーデンプレースの赤茶色のビルがそびえ立ってる。
「あ、そうそう」
 MIKAちゃんはバッグからなにかとり出した。
「これ、またいっぱい作ったからあげるー。YAっちゃんにはー、特別にー、スペシャルバージョンー」
 そう言って、もらった「Ye−Ye」のチラシには、MIKAちゃんの手書きで「よろしく」って書いてあった。
「ありがとうー」
「こんどのはトイレになんか飾らないで、もーっと宣伝になるようなとこに貼ってよー?」
「わかったー」
 MIKAちゃんは立ちあがってみんなにチラシを配りに行った。ハトが飛び立った。背中で電車の音がした。あいつはタバコをとり出して火をつけた。
「そう言えばKIDOくん、写真のアシスタント、どうなった?」
 振り返ったKIDOくんは、完全に酔っぱらったときの顔になってた。
「けっきょく、やめました」
 KIDOくんはそう言ってタバコをくわえると、ポケットにライターを探した。あいつがそれを見て自分の火をさし出すと「あ、すみません」と背中をまるくしてオレンジ色を吸い込んだ。煙をはいた。MIKAちゃんがMONKEYのとなりに座った。
「それで……俺、しばらく撮るのをやめてたんです。やっぱり自分に写真は向いてない、とか、実は芸術とは不自由のことだ、とか、いろいろ言い訳しながら……でも、そのうち撮らずにはいられなくなって……」
 私は煙をはいた。
「だって、自分から写真を取ったら、何も残らないんです……あ、いや、そんなに大した写真は撮れないですけど……」
「KIDOくん、そこは謙遜するところじゃないよ」
「……はい……」
 MIKAちゃんの「あー」って声が聞こえた。
「それで?」
 あいつが続けた。
「それで……それで、思ったんです。俺にとって写真とは、自分が唯一乱暴になれる場所なんじゃないかって」
「乱暴?」
「はい。あ、でもそれは一般的な意味のそれじゃないし、粗雑さのことでもないんです。乱暴に泣き、乱暴に怒り、乱暴に笑い、乱暴にロマンティストになり、乱暴にリアリストになり、乱暴に理想を語り、乱暴に批判し、乱暴に優しくなり、乱暴に冷酷になり、乱暴に確信する。それはある意味、暴力で……暴力。社会としての自分に妥協しない、徹底した態度……」
 そう言いかけて、KIDOくんはタバコを吸った。
「写真以外の場所じゃ、ダメなの?」
 私が聞くと、KIDOくんは煙をはいた。
「……だめ、です。今みたいに酒でも飲んでれば別ですけど、シラフの時は体がジンジンするほど周りの目が気になるんです。……一人になるのが怖くて、自分に自信が持てなくて、きょろきょろ目配りして、傷つけないように嘘をついて、見捨てられないように嘘で着飾って。そうしてるうちに、だんだん自分自身の汚さに、弱さに嫌気がさしてくるんです、吐き気を催すくらいに」
 あいつがビールを飲んで、桜を見あげた。
「KIDOくんは汚くもないし弱くもないよ。そう感じてるKIDOくんがKIDOくんなんだから」
 タバコを消そうとしたら、レジャーシートに一匹のアリが迷ってた。
「分かってます……でも、それが分かってても、人との接し方が変えられるわけじゃないじゃないですか……だからこの間、思い切って『自分は弱い』って言ってみたんです。そうすれば少しは楽に人と付き合えるのかと思って。でも、その人に『お前は弱い』って冗談半分で言われた時に、ムキになって『そんなことはない』と反発してしまって……ああ、俺は今度は弱い振りをしてしまったんだ、って……そんな自分にまた嫌気がさしてきて……」
 迷子のアリは触角をいっしょうけんめい動かながら、ちょっとずつちょっとずつ進んでる。がんばれー。
「……だんだん自分に閉じこもって行くんです、傍観者のように。人は一人では強い人でも弱い人でもないし、汚い人でも誠実な人でもない、その場所に。孤独が怖くて、孤独を求める、どんどん矛盾に陥って行く」
 迷子のアリが……あーあ、ポテトチップスのすきまに入ってった。しーらない。
「うーん……あれだね、KIDOくんはいっつも酒飲んでればいいんだよ」
「……はは……」
「ねー! YAっちゃーん!」
 向こうからMIKAちゃんがさけんだ。
「AKIさんたち、来週、バリに行くんだってー!」
「えー! ほんとー?」
 AKIさんがさけんだ。
「ほーんーとー!」
「いいーなあー。ねえーBAKAー、AKIさんたち、バリに行くんだってー」
 あいつはビールを飲み干した。
「聞こえてるよー」
「いーいーねー」
「ああ、いいねえー」
「……」
「GUUがノーベル賞の賞金で連れてってくれるんだろ?」
 MIKAちゃんがさけんだ。
「バリの夕日は、砂浜までまっ赤に染めるんだってー! ちょっとMONKEYー、いいねー」
 MONKEYはMIKAちゃんに「そうねえ」って言った。
 夕日で砂までまっ赤、かー。ここの桜も夕日でまっ赤に染まるかなあ。そう言えば太陽がだいぶ傾いてるみたい。何時だろう。もう、三時半かー。
 クーラーボックスの氷も小さくなって浮かんでる。お弁当もあいつが買ってきたつまみもほとんどなくなってる。ラジカセから流れる曲も、さっき聞いた覚えがある。
「あの」
 KIDOくんがつぶやいた。
「なあに?」
「ミクロマンス、でしたよね?」
「私のデビュー作? そうだよー」
 KIDOくんは目を落とした。
「それって、ある意味、すごく当たってるなあーって思うんですよ」
「どういうことー?」
「あの……例えば小説だったら、マクロ的視点から書くと、読者にぶつかってしまうって言うか……その……マクロって言うのは、ある意味『神』の視点で、その位置は唯一受け手に許された場所で、だから作者は、ミクロを敷き詰めていくことで、見えないマクロを描かなければならない……」
 私はタバコに火をつけた。
「ロマンスはー?」
「ロマンスは……それはロマンスに限らないんですけど、視点には必ずなんらかの感情を交えて書かなければいけないと思うんですよ。感情って言ってもはっきり種類のわかる感情だけじゃなくて……なんて言うか、書き手としての自分という意識のない、つまり……ありふれた言い方で無意識、の中で書かなければいけない。じゃないと、ただの情報になってしまうと思うんです。生きた情報じゃなく、死んだ情報に。例えば悲しいときはそれなりに悲しくものが見えてしまう、みたいに。それは同時に人間を描くことでもあって……」
「ねえー! YASUKOちゃんたちはおみあげ、なにがいいー?!」
 向こうからAKIさんがさけんだ。
「えー? ねえBAKA、AKIさんがおみあげなにがいいか、だってー」
 いつのまにかあいつが横になってる。
「ん……んー?」
「おーみーあーげー! なあにー、もしかして、寝てたのー?」
「なーんか、むちゃくちゃ眠いんだよねー」
 きた。こうなったらもうダメ。あいつは眠気に抵抗しようとしない。まるで眠るのが趣味みたいに。
 AKIさんが待ちかねてさけんだ。
「ねえー! なにがいいのー?!」
「えー、じゃ、じゃあー……マカダミアナッツー!」
 MIKAちゃんが言った。
「あーんた、それじゃあハワイだよー」
 AKIさんがまたさけんだ。
「KIDOくんはー?」
「え、俺にも買ってきてくれるんですかー?」
「なにがいいー?!」
「あ……えーっと、それじゃあ、バリの酒、お願いしますー」
 MIKAちゃんがまた言った。
「まーったく、どいつもこいつもありきたりだねえー」
「じゃあ、MIKAちゃんたちはー?」
「私? 私はー、バリの、葉巻ー。そしたら私はー、ミニスカートの脚をカーって組んで、葉巻をカーって吸って、肘をカーって立てて、みんなにボスと、呼ばれるのー。ねーMONKEY?」
「なに言ってんの?」
 MIKAちゃんの顔色が一瞬変わった。きっと帰ってからキイーってなる。
 砂場で二人の子供が遊んでる。きっと兄弟。だって顔がそっくり。
 二人は自分たちで作った砂の山に、両側からトンネルを掘ってる。砂だらけの顔。砂だらけのヒザ。少し離れたところから、口をぐっと閉じてそれを見てる男の子がいる。
 MANABUさんの声がする。
「……いいじゃん、楽しめば。孤独って、一人じゃ成り立たないん……」
 歓声があがった。トンネルが開通したみたい。と同時に、山はヒビ割れて、ペシャンコにつぶれた。
 MONKEYの声がする。
「……けどさ、日本人ほど信心深い民族って……」
 離れて見てた男の子は、なにも言わずにあいだに入り、山をなおしはじめた。二人は一瞬男の子を見て、黙って一緒に砂をかき集めだした。
 あいつはついに力を失って、ごろんと仰向けに寝転んだ。目を閉じて、だんだん口が開いていって、眠りに落ちてく様子がよくわかる。KIDOくんは砂場の子供たちを見つめてる。MIKAちゃんはタバコを吸いながら、ぼんやり桜を見あげてる。MONKEYとMANABUさんは静かに話し続けてる。AKIさんはお酒を手にして、じっと私の目を見てる。
「果たして題名は必要か」
 あいつの寝言がかすれた。AKIさんはじっと私を見つめたまま動かない。私は口の形で話しかける。
 すべては満足するか、しないか、ただそれだけなの……
 ふわっとAKIさんの目から涙がこぼれた。逆光に包まれた姿。私ははっと気がついた。桜がまっ赤に染まってた。
 目のまえいっぱいにたれさがったまっ赤な花びら。すきまで瞬くまっ赤な夕日。私は少しがっかりした。AKIさんはきっと気づいてた。
 朝がきて、夜がきて、朝がきて……壊れる。
 おばあちゃん、私、なんとなくわかったみたい。笑いや幸せは、手のなかのものをすべて投げ出すことなんだって。そういう意味だったんでしょ?
「どうして人にはそんな悲しい能力が備わっているの?」
 だから、私はこれからも書くの。
 ウソで、ほんと。他人事で、自分のこと。なんとなく楽しくて、なんとなく切ない。そんなところを、書くの。
 MICROMANCE
 それは赤くて、白くて、緑色。広くて、不安で、心地いい。なくしたときにあらわれる、突然消えて残るもの。
 ごめんね、ごめんね、ごめんね、抱いてて、抱いてて、抱いてて、嫌い、嫌い、嫌い、助けて、助けて、助けて、青い、青い、青い、飛んでる、飛んでる、飛んでる、行かないで、行かないで、行かないで、どこにも……お願い……
 さようなら。私のお話はもうおしまい。私はこれからタバコを吸うの。
 まっ赤なソファーに寝転びながら、ALのあくびに「あー」と言い、窓のそとに流れ出す、タバコの煙を目で追って、空になんとなくつぶやくの。
「もう、夏かなあ」
 大きく開いたパキラの葉っぱ。転がるカエルのボールペン。白い冷蔵庫の扉を開いて、あいつはきっとこう言うの。
「夏、かもしれないなー」




Special thanks to
YOU-KO SAN
DAI SAN
SAITOH SAN
CURTIS
MIKA CHAN
MONKEY
CHARA
IKUTAROU NISHIDA
Jean-Luc Godard
Georg Wilhelm Frederich Hegel

and me, myself.